2024年5月20日(月)

プーチンのロシア

2023年7月19日

 後に遺体は集団埋葬地で発見されたが、アメリーナさんは占領地にあった彼の実家を突き止めることに成功し、その実家の桜の木の下に埋められていたビニール袋に入った日記を回収することができたという。

 ウクライナを強く支持するバクレンコは、ロシア軍の侵略が始まって以降の記録を書き留め、携帯電話などとともにその記録を地中に埋めていた。彼の家族は、「私たちの仲間が来た時に、この日記を手渡してほしい」と頼まれていた。日記はその後、ハリコフの図書館に保管されることとなり、被占領地を入念に調査するアメリーナさんの手腕が光った。

ロシアはアメリーナさんを狙ったのか

 ロシア軍が何を目的に、多数の民間人がいたレストランを攻撃したかは不透明だ。彼女がロシア側にとり「望まれない人物」としてリストアップされていたと指摘する声もあるが、彼女を狙った攻撃だったと断じることは容易ではない。

 しかし、ミサイル攻撃は精密に標的に命中させることができる短距離弾道ミサイル「イスカンデル」が使用されたとみられ、ロシア軍は敢えてその人々が集まるポイントを襲撃したことは間違いない。実は、前線に近いクラマトルスクでは昨年4月にも、ロシア軍の進撃から避難するために駅に集まっていた群衆にミサイルが撃ち込まれ、約60人が死亡、100人以上が負傷するという大惨事が発生している。

 多くの人が集まる商業施設などに攻撃が加えられるケースも繰り返し発生しているが、単なる誤爆だったとは言い難く、ロシア軍の残虐性を浮かび上がらせている。

 アメリーナさんはこの日、最前線の実態を調査しようとしていた南米コロンビアの元国連関係者やジャーナリストらとともに、クラマトルスクを訪れていた。遠方から来た彼らの要望をかなえたいと、ガイド役を買って出たのだという。

 ロシア軍の攻撃とアメリーナさんの死は、文化・芸術という比較的中立性の高い分野の人々に対するロシア軍の残虐性をまざまざと見せつけ、世界からの怒りを招く結果となった。その波は現在も広がりつつある。ロシアの孤立がさらに深まる事態は避けられない。

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