彼女の死亡は、世界の文芸界の激しい怒りを招いた。アメリーナさんの所属団体「ペン・ウクライナ」だけでなく、同団体など各国の組織が属する「国際ペン」、またその傘下の日本の団体からも、抗議の声明文が発表され、「われわれは、ペン・ウクライナのすべての人々と共に立ち上がる」と怒りの声を上げた。ロシアの虚偽のプロパガンダは、むしろ世界の怒りに火を注いでいた。
東部にルーツ、抱いていたロシアへの違和感
アメリーナさんは気鋭のウクライナ人作家で、世界の文芸界から注目を集めつつあった。彼女は1986年生まれで、ウクライナ西部リビウ出身だったが、家族のルーツは現在激しい戦闘が続く東部にあったという。
そのため彼女はウクライナ西部では少数派であるロシア語話者で、ロシア語で学ぶ学校にも通っていた。ロシア政府は彼女の出自に注目し、彼女が15歳のときにモスクワで行われたロシア語弁論大会に招いた。
それまで、ロシアに対しそれほど強い意識を持たなかったアメリーナさんだったが、彼女は大会で強い違和感を覚えることになる。モスクワを訪れたアメリーナさんは、ウクライナにおいて、ロシア語話者がいかに抑圧されているかをロシアメディアに語るよう促されたのである。
ウクライナでは、この約3年後にレオニード・クチマ大統領の任期満了にともなう大統領選挙で、親欧米派のビクトル・ユシチェンコ氏が勝利する「オレンジ革命」が発生している。ロシアがこの当時から、〝ウクライナでロシア語話者が迫害されている〟とのプロパガンダをロシア国内で広めようとしていた実態が伺える。いずれにせよ、アメリーナさんは「まったくそんな事実はない」と述べてロシア側の主張に沿った話をすることを拒否し、ロシアに対する強い違和感を覚えるようになっていった。
このような体験が、後に作家としてデビューする彼女の考え方に強い影響を与えたことは疑いがない。西部に移住したロシア語話者コミュニティーでは、第二次世界大戦やドイツ、またソ連による占領の歴史を語ることが〝タブー視〟される傾向があったという。そのような状況に疑問を抱いていた彼女は、2014年に小説家としてデビューした後、17年に書いた小説で彼女は、そのような社会の実相を人間ではなく、人間社会を客観視する〝犬〟の視点でウクライナ社会を切り取った。
この作品は国内外で高い評価を受け、アメリーナさんの作品は欧米を中心に各国で翻訳、出版されるようになった。さらにロシア軍の全面侵攻開始後は、詩作やノンフィクション作品の執筆を開始し、戦時下のウクライナ人女性の生活をつづる作品の執筆に取り組んでいた。
戦争犯罪を調査
そのような彼女が、ロシア軍の戦争犯罪の調査に携わろうとしたことはごく自然な流れだったのかもしれない。彼女は本の執筆の手を止め、22年にウクライナの人権団体「真実の猟犬(Truth Hounds)」の活動に加わった。
彼女はウクライナ東部、南部、北部の、いったんはロシア軍に占領され、ウクライナ側が奪還した地域の調査に乗り出した。これらの地域の多くは依然、前線に近いケースが多く危険をともなったが、ロシア軍の占領下で彼女は生き延びた人々の証言を入念に集めていった。作家として培った洞察力は、その調査活動にも力を発揮した。
彼女が成し遂げた最大の功績のひとつは、同じくウクライナの児童文学作家で、東部で殺害されたボロディミル・バクレンコが執筆し、実家の庭に埋めて隠していた日記を発見したことだ。バクレンコは東部ハリコフ州の激戦地となったイジューム周辺の村からロシア軍に連行され、それ以来行方が分からなくなっていた。