そうでないときは、「嫌疑なし」「嫌疑不十分」として、「不起訴」「起訴猶予」など訴追を見送る。拘留されている容疑者は釈放される。日本の刑事裁判での有罪率が100%に近い理由は、こうした事情を考えれば、理解できよう。
それにしても、容疑者の訴追という重要な決定を検事ひとりの判断に委ねていいのか。今回の問題は、そうした懸念が現実になった結果ともいえよう。
起訴されたことに納得できない人もいるだろう。〝放免〟になった人でも、あいまいな形での決着ではなく、「公開の法廷ではっきりシロ、クロつけてほしい」と望む人もいるかもしれない。
「大陪審」は米国の司法で導入されている仕組みだが、まさにそうした指摘に応えるのが目的だ。
大陪審制度あれば違った結果に?
「陪審」といえば『十二人の怒れる男』(1957年、米国)など法廷ものの映画やテレビで、有罪、無罪かをめぐって議論を戦わせる場面を連想するかもしれないが、大陪審はそれとは違う。裁判以前に容疑者を起訴すべきかどうかを陪審員に判断してもらう制度だ。法律専門家だけでなく、市井の人の感覚を聞くのが目的といっていい。
その仕組みは、犯罪が発生しているか、またはその疑いのある時、検察官は容疑者名、被疑事実、それを裏づける証拠を大陪審に提出する。陪審員は証拠を吟味し、容疑者本人、参考人を召喚して取り調べ、事情聴取を行ったうえで起訴、不起訴を評決する。
大陪審を今回の事件に当てはめた場合、検事が有罪を主張しても、起訴された市議が取り調べの経過を明らかにすれば、それによって起訴、不起訴が大きく左右される可能性があったろう。
大陪審には、犯罪捜査機関としての側面もある。
汚職捜査などの場合、容疑者が否認することに加え、参考人も容疑者をかばって真実を供述せず難航するケースがみられるが、宣誓のうえで供述する大陪審でうそを言えば、偽証罪に問われるから、真相解明につながるともいわれる。司法制度の異なる日本ですぐに導入するのは困難としても、改革のヒントにはなりうるだろう。
取り調べの可視化拡大求める専門家も
特捜検事による供述誘導疑惑に話を戻す。
渦中の元広島市議は、検事の言葉通り、いったん不起訴になったものの、検察審査会の「起訴相当」の議決をうけて一転、略式起訴された。これを不服として、正式裁判を申し立て、検事とのやりとりを録音したテープを裁判所に証拠として提出した。
法廷は27日から開始され、他の被告の審理も開始されているが、弁護側は「公訴棄却」を求めた。懲役3年の実刑判決を受けて服役中の河井元法相についても、再審請求などに発展する可能性がないわけではないとの予測もなされている。
刑事裁判の専門家の中には「こうした問題が起きないように、取り調べの録音、録画は任意調べにも行うように改善すべきだ」(四宮啓國學院大學名誉教授)という指摘がある。「検察がほかの事件でも同様の手段を弄しているという疑念を抱かれてもやむをえまい。裁判所も傍観しているのではなく、検察の主張を慎重に吟味してほしい」という指摘は司法界全体に対する警鐘だろう。