「検察ファッショ」という言葉、最近はほとんど聞かれない。
首相経験者ら多数が逮捕・起訴されたロッキード事件(1976年に発覚)当時、しばしば口の端にのぼった。「燃える検察」というエールと対照的に、その暴走への危惧として使われた。
その言葉を彷彿とさせる事件が起きた。特捜検事が河井克行元法相夫妻の選挙違反事件捜査の過程で、被疑者(被買収)の供述を誘導したという。大阪地検を舞台にした証拠改ざん事件の記憶がなお生々しいが、その反省、教訓はいかされなかったのか。
この際、検事の起訴権限を大幅に見直し、「日本版大陪審」制度を導入するくらい思い切った改革を検討してはどうか。再発防止には、それくらいの荒療治が必要だろう。
被疑者の弱みに付け込む行為
2019年の参院選での河井夫妻の巨額買収をめぐる供述誘導疑惑については、すでに詳細が報じられているが、簡単に復習する。
事件を捜査していた東京地検特捜部の検事が買収目的の金銭受領容疑で元広島市議を任意で取り調べた際、否定する元市議に対し、容疑を認めるよう働きかけ、調書を作成していたという。検事は、「不起訴」にすることをだしに、市議から意に沿うような供述を引き出していた。
金銭を受領したとして起訴されたほかの被告に対しても検事が同様の誘導をしたケースが少なからずあったといわれる。
事実とすれば、供述の任意性、裁判の公正さを損ない、被疑者の弱みに付け込んだ卑劣な行為というべきだろう。
検事による起訴権限独占が元凶
真相は裁判を通じて明らかにされることを期待したいが、こうした問題を引き起こしたのは、ひとえに検事の権限が強すぎることが原因だろう。
日本の司法制度では、容疑者の処分つまり起訴、不起訴を決める権限は検察官にだけ与えられている。そのうえ、検察には「起訴便宜主義」という大原則があり、十分な証拠がそろって法廷で有罪判決を勝ち取る見込みのある時に限って起訴へ持ち込む。