2024年11月21日(木)

プーチンのロシア

2023年8月2日

 不正に憤り、ルカシェンコの退陣を求める国民的な運動が巻き起こった。それでも、ルカシェンコ体制は容赦ない弾圧によって、次第に市民を沈黙させていった。

 そして、もう一つ、ルカシェンコの切り札となったのが、プーチン・ロシアのテコ入れであった。プーチン政権は、早々とベラルーシ大統領選の結果を承認し、ルカシェンコの要請に応じて治安部隊を対ベラルーシ国境に集結させ、15億ドルの融資も提供した。

 なお、このようにもっぱら暴力支配とロシアのテコ入れにより権力の座に居座っているルカシェンコを、欧米諸国はもはや正統な国家元首とは認めておらず、本稿でも2020年8月以降のルカシェンコについては「大統領」という表現は用いない。日本外務省も、ホームページで「元首:ルカシェンコ大統領」などと記載する非常識なことは止めてほしいものである。

 さて、ロシアの支援で体制の命脈を保ったルカシェンコは、さすがにプーチンに頭が上がらなくなった。最近それが浮き彫りになったのが、核兵器の問題だった。今年3月25日にプーチン大統領がベラルーシへの戦術核配備の方針を表明したものである。

 その際にプーチンは、「ベラルーシに核兵器を引き渡すわけではなく、ロシアの核兵器をベラルーシ領に配備する」と発言したのに対し、ルカシェンコは教書演説で「これはわが国の核兵器であり、わが国の領内に置かれた兵器はすべてわが国が管理する」と述べ、不一致が露呈した。それでも、5月25日に配備に関する合意文書が両国間で取り交わされており、結局はロシアが押し切った。

 ちなみに、英王立国際問題研究所が5月24日から6月2日にかけてベラルーシで実施した意識調査によれば、核兵器配備につき回答者の37%が反対、33%がどちらかというと反対、20%がどちらかと言うと賛成、10%が賛成と答えている。意識の高い独立系メディア利用者の間で反対論が圧倒的なのはもちろん、ルカシェンコの支持基盤である国営メディアの利用者の間でも反対の声がやや優勢であり、国内政治的にはルカシェンコにとり不利な材料となっている。

 もう一つ、ルカシェンコの苦しい立場がにじみ出たのが、今年5月の外交日程だった。ルカシェンコは5月9日にモスクワで開催された戦勝記念日軍事パレードに駆け付けたが、満足に歩けない状態だった。また、ルカシェンコは5月下旬にも旧ソ連諸国の一連の首脳会合に出席するためモスクワに出向いたが、5月27日には同氏がモスクワの病院に緊急搬送されたという未確認情報が流れ、騒然とした。

 重篤だったかはともかく、この時期ルカシェンコの体調が優れなかったことは事実と思われる。それでも、プーチンから号令がかかれば馳せ参じざるをえないところに、ルカシェンコの立ち位置が見て取れた。

プリゴジンの乱で留飲を下げる

 ところが、窮地のルカシェンコに千載一遇のチャンスが巡ってきた。6月23日にロシアで発生した「プリゴジンの乱」である。

 おさらいをすれば、ロシアの民間軍事会社「ワグネル」を率いるプリゴジン氏が、6月23日夜に武装蜂起を宣言。ワグネルは、ロシア南部ロストフ州の軍事拠点を制圧した上で、首都モスクワをめざし進軍を開始した。

 プーチン大統領は24日朝の国民向け演説で、国家転覆の試みを非難し、武力で鎮圧する構えを示す。それでもワグネルは、ロシア軍と交戦しつつ北上を続け、24日夕刻までには首都のモスクワからわずか200キロメートルの地点に迫った。


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