ロシアの「プリゴジンの乱」が6月24日に発生してから約1ヵ月が過ぎた。筆者としては、あれほどの軍事力と警察力を擁するロシアにおいて、ワグネル部隊がほとんど組織的抵抗を受けずにモスクワのすぐ南まで迫ったという事実からは、権威主義とは裏腹なロシア政治のまとまりのなさが窺える。
そして、全世界の耳目がロシアとベラルーシに集中していた中、中国の秦剛外交部長が6月25日の活動を最後に失踪し、去る7月25日に正式に免職となった。秦剛氏の名前と姿は、外交部公式HP全体から一時完全に抹消され、歴代外交部長のリストからも消えている。(現場は混乱している模様で、中央人民政府公式HPでは一応未だに「国務委員」の一人として記載があるほか、外交部HPでも7月末に「部長活動」コーナーの関連記事が復活した)
筆者は、新疆における2017年以後のトルコ系民族に対する過酷な政策の下、新疆大学公式HPからタシポラット・ティップ学長の名が消された事実を思い出した。このことは、秦剛という人物が中国外交を担っていたという事実自体が一時ほぼ封殺されたという前代未聞の異常事態を意味する。
もちろん、この二つの事件がほぼ同時に起こったのは偶然かも知れないし、武装反乱と外交部長の失踪は同列には論じられないのかも知れない。しかしこれらの事件は、ロシアと中国という、ともに米国と西側諸国の存在感を嫌悪し、「多極化世界」構築の名のもとで過酷な政治を行い、ウクライナ侵略においても暗に協力関係にある国で起こったという点では共通である。
しかもその事後処理は今のところ、ブラックボックスの中で粛々と行われ、表面的な冷静さの中で、中露協力はますます強まっているかのように見える。7月4日には上海協力機構サミットがオンラインで開催されたほか、7月10日にはロシア連邦議会のマトビエンコ議長が北京を訪問し習近平氏と会談した。
そして7月27日には、ショイグ国防相と李鴻忠・全人代常務委員会副委員長が朝鮮戦争70周年停戦協定記念式典に出席し、中朝露の協力関係を確認している(李鴻忠氏は、習近平氏に対する絶対的忠誠で知られるイエスマンである)。
こうした動きをどのように考えるべきか。以下、今年に入ってからのウクライナ情勢と中国外交の展開を中心に振り返ってみたい。
前近代的な問題である「プリゴジンの乱」
とりあえず筆者の見るところ、プリゴジンの乱自体は、ロシアが単に中世的で混沌とした国家に過ぎないことを示しているように思える。
近代国家においては、中央政府が責任を持って領域およびその中にいる人々を保護するべきであり、超法規的な決闘や私兵の跋扈(ばっこ)は排する必要がある。しかしロシアはそうではなく、南部チェチェン共和国のカディーロフ氏や民間軍事会社ワグネルのプリゴジン氏ら、プーチンに取り入って勢力を拡大した地域ボスや私兵集団が、国権の発動としては起こしにくい中東やアフリカでの軍事的裏工作を買って出ていた。
これらが正式な国軍と競争関係に陥り、さらにウクライナ侵略における即断即決の見立てが崩れて消耗戦となる中、ついに軍事組織の本質にかかわる武器補給や論功行賞といった場面での利益配分をめぐる対立に陥ったということであろう。
勝ち目のないプリゴジン氏がルカシェンコ氏に説得されてベラルーシへ出国し、プーチン氏もその身柄の安全を保証して刑事訴追を免除としたのは、破滅の前に妥協を選択したということになるが、軍事力の分散・並立が引き起こした混乱と、その超法規的解決は、如何にも前近代的な問題解決であろう。そのような国家が国連常任理事国の一席を占め、人類社会の生殺与奪を左右する核のボタンを握っており、しかも2014年のクリミア侵攻までは西側諸国もプーチン・ロシアを主要8カ国(G8)の一国として歓迎してしまったという「不都合な真実」を痛感せざるを得ない。