そこで今後中国の外交官や、対外的に発信を行うメディアは、見せしめとなった秦剛氏の存在を念頭に置きつつ、これまで以上に習近平氏の考えを常に忖度し、より強硬な姿勢を率先して示す「戦狼」の度を高めることになろう。
しかしこれは諸刃の剣でもある。秦剛氏をめぐる問題が示唆するのは、たとえ習近平外交思想に遵って行動している外交官であっても、成果なしと見なされれば失脚して重罪を覚悟しなければならないという事実である。
この展開を所謂「中国史」に照らしてみれば、19世紀の後半に新疆北部がロシアに占領され、その善後処理をめぐる1879年のリヴァディア条約の内容が大幅にロシアに譲歩するものであり(新疆イリ地方西部のロシア割譲)、交渉担当者である崇厚(満洲貴族)が死刑となりかけた事件を思い出す。この一件に関しては、西洋諸国から「交渉に失敗した者を処刑するやり方は文明国に値せずあるまじきもの」という猛反発が起こり、結局赦免扱いとなった(奇しくもリヴァディアはクリミア半島の保養地である)。
もし習近平氏と中共が今後習近平外交思想と「法治」の名において一層中国外交を縛り、失敗は絶対に許さず、失敗した者を党と国家に対する裏切りとして罰するならば、中国の外交官はますます萎縮し、決まり切った発言と行動しかできないロボットに過ぎなくなる。外界も、そのような中国との柔軟で建設的な外交交渉がそもそも可能なのかという疑問を深めることになろう。
袋小路の中露によるさらなる危機の可能性
以上、ロシアと中国はウクライナ問題を契機として、自身の問題点を白日の下に晒した。ロシアはプリゴジンの乱以来、プーチンの指導力低下と軍内部の統率の乱れが顕著であるといわれるし、中国はロシアとの接近でウクライナ問題を利用し米国・西側との関係を主導する意図が空回りに終わり、外交の硬直化を招いた。
今後、両者とも手詰まりを脱するために新たな攻勢に出る可能性が高く、国際社会の危機はさらに深まろう。このような意味において、プリゴジンの乱と秦剛氏の失脚はつながっているのであり、2023年6月下旬というタイミングは、将来広く世界史の転換点として記憶されるのかも知れない。