2024年11月21日(木)

プーチンのロシア

2023年8月2日

 ここで一つトリビアを。ロシアと欧州連合(EU)の狭間に位置し、独裁者ルカシェンコ氏がたびたび国際社会を騒がせているベラルーシ共和国。ソ連邦の崩壊に伴い、この国が史上初めての独立を果たしたのは、1991年暮れのことであった。ところが、ベラルーシは1945年の国際連合発足時に、原加盟国に名を連ねていたのである。なぜ、独立国としては新米のベラルーシが、国連加盟では日本よりも先輩なのか?

(ロイター/アフロ)

 これには、国連発足当時の国際情勢が影響している。連合国のうち、英国は英連邦諸国の支持を期待でき、米国も中南米諸国と結び付きが深かったのに対し、ソ連は孤立無援だったのだ。そこで、ソ連の独裁者スターリンは、ソ連本体に加え、ソ連を構成していた16の共和国(後に15になるがこの時点では16だった)すべてを国連加盟国にしようと目論み、そのためにわざわざ各共和国の外務省まで作った。

 しかし、ソ連の共和国には実権がなく、クレムリンの意のままであることは、米英等にもお見通しであった。ソ連に17票与えてほしいというスターリン案は、さすがに却下される。それでも米英は、ソ連がナチス・ドイツ打倒に貢献し、多大な戦災を被ったことも考慮して、「追加で2票与えるくらいなら大勢に影響はないか」と判断したのである。

 こうして、ソ連本体に加え、とりわけ戦災の甚だしかったウクライナ共和国とベラルーシ共和国が、国連原加盟国として認められることになったわけだ。

 ベラルーシが実は国連の古参メンバーであったという事実を知ると、先日の非常任理事国選挙での惨敗が、余計に物悲しくなってくる。国連総会で6月6日に安全保障理事会の非常任理事国の改選投票が行われ、東欧枠で立候補していたベラルーシは38票しか集められず、153票のスロベニアに大差で敗れたものだ。ロシアのウクライナ侵攻を非難する国連総会決議に、毎回反対票を投じている国が、広範な支持を得られようはずもなかった。

プーチンの手下と化すルカシェンコ

 ベラルーシでは、1994年7月に初の大統領選が行われ、汚職追及や対ロシア統合を大衆迎合的に訴えたルカシェンコ候補が、地滑り的勝利を収めた。以来、「欧州最後の独裁者」ことルカシェンコが、30年近く権力を保持している。

 ただ、その長期政権も、「もはやこれまで」と思われたことが、3年前にあった。2020年8月9日に大統領選の投票が終わると、体制側による投票・開票の不正が明白になっていく。


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