ブルキナファソ見聞録

2013年8月30日

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岡田綾 (おかだ・あや)

JICA職員

1982年兵庫県西宮市生まれ。小学校6年生のときに阪神・淡路大震災を経験。2005年京都大学文学部社会学科、2007年同大学大学院地球環境学舎環境マネジメント専攻修士課程修了。環境やコミュニティ防災について学ぶ。就職活動では、「その人自身のせいではないが、理不尽な境遇におかれてしまった人のために仕事をしたい」と考え、他の関心事項であった「途上国・国際協力」も満たす組織として、独立行政法人国際協力機構(JICA)を志望し、2007年入構。地球環境部、広報室などを経て、アフリカ勤務を希望し、2012年12月よりブルキナファソ事務所に赴任。

 朝8時から15分ほどのセレモニーで、囲いも入場制限も何もないので、ただそこに行けばセレモニーを見ることができる。先日行ってみると、欧米の観光客らしき人が何人かいて、観光の1つとして一部では知られているようだったが、8時が近づくとどんどんと地元の人が集まってきて、ざっと500人くらいになった。

 モシ族の人々にとって、王様に会える貴重な機会として根付いているようだ。私達は7時半頃から行ってほぼ1番乗り状態だったが、後でモシ族の同僚と話していると「僕なら6時から行くかな」と言っていた。敬意を表して、ということらしい。

 セレモニーは、モシ族の歴史にまつわる内容。昔、モシ族の王様の家に双子がいて、王位の継承争いなど揉めることを避けるために弟は現在のブルキナファソ北部にあるワイグヤという街に移り、兄がワガドゥグに残った。ワガドゥグには王の権威の象徴でもあるフェティッシュ(崇拝の対象。面であったりグリグリと呼ばれるお守であったり、物は様々)があったのだが、弟を慕っていたこの双子の妹が、兄の元からフェティッシュを盗み、ワイグヤの弟に渡したという。ワイグヤに渡ってしまったフェティッシュを取り戻すために、兄が戦覚悟で軍を従えワイグヤに向けて出発しようとするのを、家来達が、戦は良くないと説得して思い留まらせた、と伝えられている。

 この史実が脈々と受け継がれ、毎週金曜日には、「王がワイグヤに向けて出陣しようとするが家来達に説得されてワガドゥグに留まる」という一連のやり取りがセレモニーとして繰り広げられているのである。このため、フェティッシュは今もワイグヤにあるとされ、モシ族全体の王様はワガドゥグにいる王様だが、ワイグヤ地方を治めるモシ族の長は、現在でも位が高く影響力のある長という位置づけにある(各地方に長がいて、長の中でもそれぞれ位があるようだ)。

モシ族の王様に迎えられて……

 セレモニーを見に行った際に、王宮のスタッフと同僚が知り合いになったことで、後日、改めて王様にお会いする機会を得た、というのが冒頭の謁見のことである。

 非常に穏やかな笑みを浮かべて、静かな声で、快く私達日本人を迎えてくださった。今の王様が戦を企てるなどということはもちろんなく、現王様を取り囲む柔らかい雰囲気と、主人に戦を思い留まらせた過去の家来達と、それが今も毎週現代の人々に伝えられているということを思うと、モシ族の人々の心根に触れた気がする。かつて西アフリカに築かれたモシ王国が、モシ族内での争いを避け、他の民族が入ってくることも受入れ、定住する許可を与えてきたことが、現在のブルキナファソ国内に多くの民族が混在している一因となっているようだ。

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