また私の講演後には、「おやじ座談会」と銘打つ「学校を舞台にしたまちづくり」をテーマにしたシンポジウムがありました。
パネラーには早谷川さんと先のおかみの里子さんに、小柳義仁さん(栗林小学校教諭で居住地の小学校の「下笠居おやじの会」)と、コーディネーターは清國祐二さん(香川大学生涯学習教育センター長・教授・二小おやじ会)です。
小柳さんは、教師をしながらご自分の子どもが通う小学校のおやじの会会員となり、学校でも居住地でも、ひとりの大人として活動しています。その素直さに、私は感動しました。だって、先生はふつうは居住地ではあまり活動しないかんね。
お母さんも女子大生も!
「おやじ」の新しい概念
じつは私は、京都での第3回おやじサミットに参加しました。
私がもっとも感動したのは、京都国際ホテルで催した懇親会でのお開き直前に千人ものおやじ全員が総立ちで肩を組みながら円陣になり、「サライ」の歌を大合唱したときです。
おやじたちの顔、顔は、涙ぐんでいました。もちろん感激してです。
そのおやじたちと肩を組み、私も目頭が熱くなりました。
しかし、集ったおやじたちとは多分ですがちょっと違う感動を私は感じていました。
それは、「おやじたち」のなかには、相当数のお母さんや、私の知人で子どものいない初老の男性から女子大生などもこの円陣にいたからです。
だから私は考えました。
「おやじ」とは、子を持つお父さんだけのことではなく、お母さんはもちろんのこと独身者も子のない方も含めて使いたい、新しい概念の人々をあらわす言葉なのではないか、と。
そして、「おやじの会」に参画できるのは、「自分に子どもがいてもいなくても、身近にいる子どもや若い親たちにひたすらに寄り添い、子育て子育ちを応援しつつ、自分育てもしながら、よりよい生き方を追求し、暮らす地域コミュニティをよりよく変えていこうとする人々」と、確信したのです。
だから「おやじ」の言葉に込めた私の想いには、そんな「おやじ像」があるんです。
で、お母さんや女子大生らも集う「おやじの会」が、大阪府羽曳野市立羽曳が丘小学校PTA「おやじの会」。