倉本聡の『北の人名録』(新潮社)を読んだのは、ずいぶんまえでした。倉本の名作テレビドラマ「北の国から」に登場する人物を彷彿させる人々がイキイキと描かれ、とても感動したことを覚えています。
で、「秋津の人名録」に記録されるのは、4回目に紹介したお花のおばあちゃんの愛称で親しまれていた近藤ヒサ子さんだけではありません。
もうひとかた、「ジャンケンおじいちゃん」の久我喜代次翁がいます。
久我さんは、開校間もない秋津小学校まえの横断歩道の信号機横に粋な着流し姿で登下校時に立ち、子どもたちの飛び出しを防ぐためにジャンケンをしながら優しく見守ってくれていました。
そんな久我さんと子どもたちとのふれあいから、高度経済成長まっ盛りの時代に違和感はもちながらも流れに身をまかせた企業戦士として殺伐とした生活をおくる私たち若いお父さんや、友人といえるほどの友も地域にもたない団地暮らしの孤独なお母さんらはたくさんの刺激を受けました。
「親になるとはなにか」「地域に暮らすとはどういうことか」「自分の子ども以外にも目をくばるとはどういうことか」などなど……。
その久我さんも、1992年1月に、たくさんの子どもに見送られながら他界しました。
しかし、私たち秋津住民は、久我さんを秋津の偉大な父として、偉大な母の近藤ヒサ子さんともども「地域の記憶」として語り継いでいます。
地域に開かれた学校
秋津小学校と若い住民は、ジャンケンおじいちゃんやお花のおばあちゃんにつらなるべく、その後も子縁を通して学校と地域が渾然一体に混ざり合い溶け合うように融合してきました。
6回目の今回は、秋津小学校と秋津コミュニティを中心としてつちかってきた「学校と地域の記憶」を私なりに折々に考察してきた「まち育てのキーワード」とともに話したいと思います。
ところで私はさまざまなところで秋津の紹介をしてきました。
以前に三重県鈴鹿市で、「地域から開く学校」をテーマに講演しました。その際、市教育委員会と県教職員組合鈴鹿市支部が共催でした。後援は市PTA連合会と市幼小中学校園長会でした。