高齢者の肺炎原因の多くが誤嚥によることから、嚥下障害は高齢者のものと思われがちだが、脳梗塞や脳出血などの脳血管障害、神経や筋疾患、事故による脊椎損傷などでも嚥下障害になる。
軽い嚥下障害は食べ物の形状を工夫したり、時間をかけて食べたりすることで改善できることもあるが、重度になると静脈から高栄養の輸液を投入したり、誤嚥が起こらないような手術をしたりすることもある。鼻から栄養を摂る経管栄養となれば、食物を口に入れたときの風味や歯ごたえをあきらめざるを得なくなる。
食べる幸せを提供しようとする医師
嚥下障害は栄養低下につながるだけでなく、その他にも行動制限が多い患者にとって「おいしい!」と感じる気持ちや誰かと一緒に食べる楽しさまで奪う。食事の制限で病気と付き合う気持ちも萎えてしまうかかもしれない。
ここに、チョコレートで嚥下障害の高齢者や難病患者の食生活の質を上げようと挑戦している医師がいる。岡本沙織さん(40歳)だ。
岡本さんは東京女子医大病院で脳神経外科医として医学博士、指導医となる中で、在宅医療に興味関心を強め、6年ほど前から訪問診療に従事している。寝たきりの患者らを診ていく中で、「生活があっての医療」を感じ、「食べることが最後の楽しみとなった患者さんの生活を充実させたい」との気持ちを強くした。
その熱意は強く、新宿ヒロクリニック(東京都新宿区)で訪問診療医として働くかたわら、2023年4月、嚥下障害があっても楽しめるチョコレート製品を開発する専門店「ショコラビットラボ」を新宿区内に開いてしまった。世界各国から輸入されたカカオ豆を使用し、店舗内の工房で板チョコレートやチョコレートドリンクを製造し、販売している。
なぜ、扱う商品はチョコレートなのか。「チョコレートは口の中で溶けやすく、栄養価も高くて、消化に良い。嚥下しやすくするとろみも自然な形で出せる。何よりも、老若男女問わず好きな人が多い」と岡本さんは話す。
嚥下障害になると、お茶にも、みそ汁にも粉末のとろみ剤を入れて粘度を高め、誤嚥を防止する。岡本さんは板チョコレートを砕いて、水と攪拌してとろみを出したチョコレートドリンクを提供する。水を牛乳や豆乳に代替することにより、タンパク質を酸性のカカオで凝固させ、さらに粘度を増すこともできる。カカオの産地によってチョコレートにした時の酸性度が異なるため、産地によっても粘度に変化をつけることができる。
栄養価についても、嗜好品としてのイメージもあるチョコレートだが、かつては薬として活用されるほど、健康に良いのだ。食の細い高齢者らに広く利用されている栄養食「明治メイバランス」と比べても、遜色がない(表)。