安保激変

2013年9月11日

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小谷哲男 (こたに・てつお)

日本国際問題研究所 主任研究員

1973年生まれ。同志社大学大学院法学研究科博士課程満期退学。ヴァンダービルト大学日米関係協力センター客員研究員、岡崎研究所特別研究員等を歴任。専門は日米同盟と海洋安全保障。法政大学非常勤講師及び平和・安全保障研究所・安全保障研究所研究委員を兼務。中公新書より海洋安全保障に関する処女作を出版準備中。

当初台湾は尖閣諸島を
琉球の一部と認識していたが…

 たとえば、1948年に中華民国政府内部では、地理的近接性から八重山または尖閣諸島を台湾の一部にするべきかが検討されていた。歴史的に尖閣諸島が台湾の一部であるというのなら、このような検討をする必要はない。また、政府文書では「尖閣諸島」と日本名が記述され、「釣魚台」という中国名称は使われていない。

 1968年4月には、尖閣諸島周辺での台湾漁民による不法漁業、鳥の卵の採集、廃船の処理に関して米国から照会を受けると、台湾政府は「不肖漁民」の管理の強化を約束している。一方、同年8月に台湾漁民の不法漁業に関する日本側の懸念を米側が伝達してきたことに対しては、米国の琉球に対する管轄権は日本ではなく連合国の委託であり、日本側に意見を述べる権利はない旨を回答している。ここでも、尖閣諸島が琉球の一部と認識されていることがわかる。

 1969年11月に日米が沖縄返還で合意すると、蒋介石総統は琉球返還は侮辱であるとし、琉球の帰属に対する権利を留保すると日記に書き残している。1970年8月のエントリーには、「尖閣」領有の根拠は琉球の主権を放棄していないことだと書かれている。翌9月には、アメリカが琉球を日本に返還するなら「釣魚台」を琉球の一部とはできないと書かれており、尖閣諸島を台湾の一部とする虚構がここで作られていったことがわかる。

 つまり、当初台湾は尖閣諸島を琉球の一部と認識していたが、日米間の沖縄返還交渉を問題視し、尖閣諸島周辺の漁業・石油資源を確保するために同諸島を台湾の付属島嶼という主張に変更したことが史料的に裏づけられている。このため、下関条約で日本に割譲された台湾の付属島嶼に尖閣諸島が含まれていた、とする台湾側の主張には根拠がないのだ。

中国が主張する「棚上げ」の真意

 一方、1970年代初めの中国は漁業技術も海底開発の技術も欠如していたため、尖閣諸島周辺の資源に強い関心はなかった。しかし、台湾が尖閣を台湾の一部とする主張を始めたため、中国も同様の主張をせざるを得なかったと考えられる。それが、71年12月の領有権の主権につながったのだ。

 中国も台湾とほぼ同じ主張をしている。つまり、尖閣は歴史的に台湾の一部だという主張だ。中台の主張で決定的に違うのは、台湾はサンフランシスコ講和条約を受け入れているが、中国は受け入れていないという点である。この違いは米軍による沖縄統治の正当性を認めるかどうかにつながる。

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