昨年9月11日に、日本政府が尖閣諸島の国有化を決定してから1年が過ぎた。その間日中交流は停滞し、尖閣諸島の周辺海域では双方の法執行機関の船がにらみ合う緊張状態が続いた。中国海軍による火器管制レーダー照射や、領空侵犯事例も発生した。
中国側は日本政府が「国有化」を発表した9月10日を屈辱の1周年とみなしており、新設された国家海警局の8隻の監視船を領海に侵入させるだけでなく、爆撃機や無人偵察機を使った空における示威行為も繰り返している。サンクトペテルブルクで開かれたG20首脳会議で、安倍晋三首相と習近平国家主席が初めて挨拶を交わしたが、日中関係がこれによって急速に改善するというのは早計であろう。
尖閣諸島をめぐる日中の主張は真っ向から対立しており、これが簡単に解決することはあり得ない。日本政府としては、不測の事態が武力衝突につながることがないよう現状を管理しつつ、中国との対話を重ね、一方で日本の立場の正当性を国際社会に理解してもらう努力を続けなければならない。
そのためには、まず尖閣問題の本質をしっかりと見極める必要がある。その上で、適切な政策を立てていくのだ。
中国より早かった台湾の主張
尖閣問題は日中間の資源をめぐる対立だと考えられがちだが、その本質は台湾問題である。台湾政府が尖閣諸島の領有権を初めて公式に宣言したのは1971年の6月で、その年の12月に主張を始めた中国政府より半年早い。
台湾が主張を始めた理由は資源である。台湾は特に漁業資源に強い関心があり、米軍統治下の尖閣周辺でも不法操業を行っていた。加えて、1968年に国連極東経済委員会が石油資源埋蔵の可能性を指摘した後、1958年に調印された大陸棚条約の批准をし、アメリカの企業と試掘の契約を結ぶなど、海底資源にも深い関心を持っていた。
台湾側の主張は、尖閣諸島は元々台湾の一部であり、日清戦争を終結させた1895年の下関条約で台湾と一緒に日本に割譲されたとしている。このため、1943年のカイロ宣言、1945年のポツダム宣言、1952年のサンフランシスコ講和条約と日華平和条約に基づき、日本は台湾及び澎湖諸島を放棄したのだから、尖閣諸島も一緒に返還すべきだ、というのが台湾の主張のポイントである。
しかし、公開された台湾側の外交文書や『蒋介石日記』の記述からは、これとは反対の事実が浮き上がってくる。台湾側の史料によれば、台湾が当初尖閣諸島を琉球の一部と明確に認識していたことが確認できるのだ。