同じくMIKIKOさんも以下のコメントを記している。
「『GIFT』の本番を観ながら、今まで観たことのなかったジャンルの表現が、ここ日本で産まれた喜びと、もっともっと描きたいという欲望で胸がいっぱいになりました。
まだ観たことのない景色に辿り着くために遠くに見える微かな光を目指して、ただひたすら祈りながら進み続ける。たくさんの選択肢の中から選んだこの道が、自分だけの物語になっていく。
羽生くんの紡ぐ言葉たちと、彼にしか描けない表現に、お客様の人生が重なってはじめてこの作品は完成します。
“羽生結弦”の表現に触れられることは、きっとこの時代を頑張って生きている私たちへのご褒美です。再びのこの機会に感謝して、大切に大切に作って参ります」
プロスケーターの概念を壊してきたプロ1年目
羽生さんがプロ転向を表明したのは2022年7月19日。筆者もあの日、東京都内の会見場にいた。柔和な表情で登壇した羽生さんは、無数のカメラのフラッシュがたかれる中で高らかに宣言した。
「プロのアスリートとして、スケートを続けていくことを決意いたしました」
羽生さんのスケート人生の「第2章」が幕開けを告げた瞬間だった。
改めて会見の冒頭の言葉にフォーカスすると、その後の「1年」の歩みがどれだけ「真剣勝負の舞台」だったかがうかがえる。羽生さんは決意表明の中で、プロの「スケーター」ではなく、プロの「アスリート」という言葉を使っている。
実際、羽生さんのプロとしての活動は、従来の「プロスケーター」の概念を根底から覆すものだった。アイスショーへ活動の舞台を移しても、羽生さんはシニアのトップ選手ですらミスのリスクがある4回転ジャンプを跳び、競技さながらにプログラムを滑った。
華やかで優雅な印象を抱くショーとは、表裏一体の緊迫感をリンクに持ち込んだ。それこそが「アスリート」の自覚と覚悟の表れだろう。
競技者時代の評価はジャッジに委ねられてきたが、単独公演では羽生さん〝だけ〟を見に来たファンの熱い視線が注がれる。〝代え〟はきかない。そんな中で滑る演目は、世界歴代最高得点をマークしたり、五輪で金メダルを獲得したり、あるいは自らの思い入れの強い名プログラムの数々である。
ファンには、競技者時代、トップスケーターとして鮮やかに滑り、大一番で勝ち続けてきた強烈な印象が脳裏に焼き付いている。そんな記憶が色あせることは許されない。だからこそ、羽生さんはプロとして滑るときも、クオリティを落とすことはなかった。さらに、競技のルールという枠組みを飛び出したからこそ、新たな挑戦にも着手した。
例えば、最初の単独公演となった『プロローグ』で演じた『SEIMEI』。ルールが厳格な競技会では同じジャンプは2本までしか入れることができない。しかし、羽生さんはプロという縛りのないリンクで、トリプルアクセル3本の構成を披露した。
「プロになったからこそできる、トリプルアクセル3発みたいなこともやってみました」。ショーの後、会場地下の駐車場に設けられた即席の「取材スペース」で確信的に振り返った羽生さんの表情がなんとも印象的だった。