2024年7月16日(火)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2023年11月17日

 世界における同年齢の若者が社会活動、芸術活動、あるいは起業などで時代の先端を疾走している一方で、十代の貴重な時期をそのような「アイドリング運転」で正確さと速度の訓練に精励した「だけ」の若者を生産するのは罪である。また、その結果として、こうした受験制度の成功者は、受動的で現状維持型の人間が高率となる可能性がある。

 現代の医学は臨床にしても、基礎研究にしても、求められる人材像はその正反対である。新たな感染症は新たな社会的対応を求め、そこで混乱を防ぐために必要なのは前例踏襲型の人材ではない。臨床においても、死生観の変容、社会制度の変化、患者や家族の心理などが変わりつつある中で、現状維持型の人材だけでは社会のニーズを支えられない。

 それ以前の問題として、高校の教育課程に限定した出題範囲で選考するだけでなく、もっと優秀な、つまり最先端の基礎研究に関して既に研究テーマや仮説を持っている人材を掘り起こすことも必要だ。いわゆる飛び級というのは、単に学年をスキップさせるのではなく、こうした十代の研究者候補を発掘するところに意義がある。

 そんな中で、ペーパー一発型入試の制度が維持され、その最高峰が医学部であり、その頂点に東京大学理科三類があるという現状は、功罪の両面を厳しく見直す時期に来ているのではないかと思われる。

医学に求められる多様な理科の知識

 もう少し具体的な問題としては、東大理三の場合もそうだが、多くの日本の理科系大学の理科の受験科目数は2科目となっている。共通テストの場合も理科の受験は2科目であって、3科目受験はできない。

 医学系の場合は、多くの場合「生物」と「化学」を選択することが多い。事実上そうなっているし、単科の医科大学の場合にはハッキリと「生物と化学の入試」を宣言している場合もある。

 問題は、それでは足りないということだ。現在の医学の基礎研究においては、研究機関でも、また民間の関連企業でもそうだが、技術革新が大きく進んでいる。具体的には、「生化学工学(バイオ・メディカル・エンジニアリング)」という学問分野が確立している。例えば、コンピューター断層撮影(CT)や磁気共鳴画像装置(MRI)などの大型検査機器から、ウェアラブルなデバイスへのセンサー搭載などもそうだし、人工心臓などの技術もそうだ。

 こうした技術の開発にも、また臨床における活用においても、生物、化学に加えて物理の知識というのは必要である。高校生の段階で、特に入試科目としての理科としては、生物と化学の履修に専念するというのは、現代においては大きな遠回りになっている。仮にも理科系入試の最高峰を自認し、基礎研究と臨床で日本の医学界をリードし続けたいのであれば、入試においては理科の3科目、つまり生物、化学、物理の高度な理解を確認できるような体制が望ましい。

18歳に自らの進路を決めさせて良いのか

 3点目は、これは米国との比較になるが、医学部進学という進路決定を18歳時点で確定させるということの是非を再考すべきだ。米国の場合は、純粋な医学教育は大学院である「メディカル・スクール(医科大学院)」で行う。その前の大学4年生までの段階は「プリ・メド(医科大学院予科)」という専攻を宣言して、専門科目の初歩の単位を集めていき、その上で難関とされる大学院入試を受ける。

 もちろん、18歳の大学出願の時点で「自分はプリ・メド専攻」ということを宣言して入学審査を受ける若者も多い。その一方で、事実上は医科大学院進学という進路は、18歳から22歳にかけて決めていくわけで、必ずしも18歳の時点で決定を迫られるわけではない。生命に関する重要な研究あるいは臨床という厳粛な職業選択に関しては、人間的あるいは知的成熟を待って選択させるのがよく、18歳で選べというのは難しいという観点も必要ではないか。


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