2024年12月22日(日)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2023年11月17日

 東京大学の理科三類(理三)には多くの問題があるのは事実だと思う。それはまた、日本の大学受験制度の停滞という問題を示してもいる。

(jaimax/gettyimages)

 まず、理三といえば、1962年に設置されて以来、日本の大学入試における最難関として有名だ。定員は長い間80人であったが、近年は100人へと増員されている。いずれにしても、18歳時点で約100万人強ある学年のトップ0.01%しか入れない「受験の頂点」ということになっているようだ。

 近年、この「理三」がやたらに話題になっている。複数の子どもを理三に合格させた親が有名人になったり、思春期のメンタル不調の結果、理三志望を勝手に宣言しておいて勝手に断念し、自暴自棄になって暴力行為に及んだ若者の事件もあった。

 こうした現象に関しては、本来は医学を学ぶと決意した人材が、学びの手段として入学を志すわけだが、その入学が手段でなく目的化していることを示している。とにかく「最難関だから」挑戦してみようとか、受かったら偉いとかいう評価を受けているのは困った問題である。

 それはともかく、現在の「理三」の入試に関しては、やはり問題が多いと思う。3点ほど提言させていただきたい。

東大医学部が〝頂点〟の必要があるのか

 1点目は、これは東京大学の理科三類だけの問題ではないが、どういうわけか大学受験の世界の中で「医学部が偉い」という特別扱いをされているということだ。東大の「理三ブーム(?)」もその延長にある。

 現在の18歳人口は約100万人で、これが18年後には70万人まで落ちる。限られた若者人口の中で、特に優秀な若者が医学界に集中するというのは、果たして社会の設計として正しいのか。改めて問い直す必要はあるだろう。

 2点目は入試の問題である。日本の大学入試は出題範囲が限定されており、筆者の個人的な見解として内容はそれほど難しくないのではないかと思う。数学や理科においては、思考力を試すような良い意味での難問が必要だが、多くの受験生の場合は塾や予備校で類似の問題に「触れた」経験の延長で合格してしまう。

 つまり「初見の問題に解法の道筋を発見する能力」に関する「選別」が十分に働かない。また、そのような「類似の問題を反復訓練する」という頭脳のアイドリング運転に18歳を縛り付けることにもなる。


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