補償の対象範囲は、(1)裁判の原告、(2)引き下げの影響を受けた生活保護利用者、(3)利用者の遺族などの関係者が考えられる。
裁判という法的枠組みでの補償と考えると、対象となるのは裁判の原告になる。名古屋高裁の原告は13人である。全国を見渡すと、29都道県1000人を超える人たちが裁判の原告となっている(いのちのとりで裁判全国アクション)。
生活保護の引き下げを争うには、引き下げの通知を受け取ってから一定期間内に不服申立てをし、訴訟を提起しなければならない。当然ながら、引き下げがはじまった13年8月当時の保護決定の申立て期間は過ぎている。
しかし、政治判断で当時の引き下げが誤りであったことを認め、決定を取り消すという対応はありうる。13年8月の生活保護利用者は216万人、引き下げは3年にかけて行われたので、延べ人数はもう少し多くなるだろう。
なお、引き下げの総額は、政府資料によれば3年間で670億円。ただし、引き下げ後に金額が元に戻ったわけではない。額は更にふくらむかもしれない。
さらに、今回、国家賠償請求が認められたことで、その範囲は利用者の遺族などの関係者まで広がる可能性がでてきた。原告のなかには加齢や疾病で体調が悪化し、裁判の途中で亡くなった方が少なくない。生活保護は一身専属の権利であり、相続の対象にはならず、補償もされないとされてきた。しかし、国家賠償となれば話は変わってくる。
国家賠償を認めたハンセン病訴訟
国家賠償請求を認める判決を受けて、被害者救済の法律ができた例がある。らい予防法違憲国家賠償請求訴訟、通常、ハンセン病患者訴訟である。1998年、鹿児島・熊本のハンセン病の療養所入所者13人が国を相手どって訴訟を起こした。
その後、国の謝罪、賠償や対策、真相究明を求める動きが広がり、数次にわたる訴訟をあわせて原告団779人を数える大規模なものとなった。2001年5月の熊本地裁判決は、国の賠償責任を認定した。
これを受けて小泉純一郎首相(当時)は、「隔離政策は過ちだった。患者と元患者に対して謝罪する。ハンセン病問題を早期に、全面的に解決するために控訴は行わない」という談話を発表し、原告の勝訴が確定した。その後、国の謝罪や一時金の支払いなどを盛り込んだ和解の基本合意書に調印、提訴3年半という異例の速さで全面解決に向けて動き出した。
08年には、議員立法で「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」が成立。更に19年には、同じく議員立法で「ハンセン病元患者家族に対する補償金の支給等に関する法律」が成立した。同法に基づき、ハンセン病の患者だけでなく、その家族にも補償金が支払われることになった。現在までに7931件が認定され、親子や配偶者等(180万円)、兄弟姉妹や祖父母等(130万円)の補償金が支払われている(23年11月17日時点)。