2024年11月22日(金)

霞が関の危機は日本の危機 官僚制再生を

2024年1月19日

官僚制再生のために
国民が果たせる役割

 国民は行政サービスの受け手、費用負担者、官僚の究極の雇い主であり、首相や各省大臣は、企業に例えれば日々の運営を託された経営陣である。どのような組織であれ、「理屈はいいから結果を出せ」と部下に丸投げする経営者に任せていて目標が達成できるはずがない。この観点から最大のステークホルダーたる国民がどう関わることができるか、4つ挙げてみたい。

 1つ目は、「企業統治にならった外部検証」である。コーポレートガバナンスに基づく経営監督が浸透した今日、政府だけ「次の選挙まで白紙委任された」と主張することは許されまい。官邸や大臣が官僚に下す指示が社会通念に照らして適切か、外部からチェックできる仕組みの構築が急務だ。政権交代が一定の私物化防止機能を果たす他国に比べ、その機能が働きにくい日本では、日常的監督の必要性が特に高い。

 基本法は改革目的として「国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進」を掲げ、政官関係の透明化に向けて「各般の行政過程に係る記録の作成、保存その他の管理」を求めている(基本法第5条3項)。この条項を具体化して、政権内のやりとりは詳細に記録し検証可能な状態とするよう義務づける。公開時期は機密度によって判断すべきだが、指示を出した当事者が公開要否や時期の判断に関与できないのは言うまでもない。なお、非公開の与党政務調査会の場で官僚に多数の注文が出される慣行は日本独特で、その記録と公開も民主制下における最低限の要求だろう。

 2つ目は、「職務記述書に基づく透明な人事」である。官房長官が国民に対し人事の説明責任を果たすには、各ポストへの具体的な要求内容(職務記述書)の公開が必要条件となる。国家として何を優先するかは政治そのものの領域なので、どの役職にどんな目標達成を求めるかは先例にとらわれず政権の判断を示せばよい。省ごとの所掌を定めた各省設置法が障壁ならば、その解消に向けて法改正することも、官僚にできない政治本来の仕事である。

 一方、ポストに人材をあてはめる段階では、恣意を排して要件を最も満たす者を選ぶ必要がある。これが職業官僚制の基本をなす成績主義で、英国でも政治はこの段階に一切介入しない。職責公開とあてはめ客観化の両輪があれば官僚の過剰な萎縮を防げ、どの能力を伸ばせば将来的に有利か考えて各人が主体的にキャリア形成することも促せる。政権の関心に沿って各幹部の職務記述書を作成・公開し、最適任者を配置することが内閣人事局の本来の役割であり、その過程の説明こそが官房長官の職責である。

 すなわち、幹部人事一元管理とは「国家としての優先事項を実現するための手段」であり、「首相に忖度せず耳の痛い直言もできる実力を持つことが外部にも明らかな者を選ぶ運用」でなければならない。

 職務記述書の公開は、同時に国民も自らの要求への応答限界に気づく効用があろう。多くの人が望んでも、財政など資源の限界や国際情勢によって実現できない政策は多く、「これ以上できません」と言う官僚を直ちに怠慢と決めつけてはならない。間違いを犯さず誰にも不満を抱かせない行政を求め続ければ、資源はさらに浪費され、最悪の場合は結果の改竄・隠蔽を招いてしまう。コロナ禍対応で経済か感染拡大防止かというジレンマが示されたように、有限の資源下で優先すべき目標を選ぶことは、別の目標の非達成を受容することである。


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