2024年6月15日(土)

古希バックパッカー海外放浪記

2024年4月14日

広西チアン族自治区出身バックパッカーは失業青年

 12月1日。キャンディー湖畔のゲストハウスにチェックインしてきた中国人Mに対して初対面から違和感を覚えた。容貌も衣服も貧相・雑駁・無頓着って雰囲気で形容しがたい。年齢は30代後半だろうか。年長者である筆者から中国語で初対面の挨拶をしたのに仏頂面のままだ。

 中国のどこの出身か聞くと広西省(グアンシー・ション)とMは返答したが、正式名称は広西チワン自治区である。中国でも最貧困地域だ。どうも放浪ジジイがNHKラジオ講座で45歳の手習いで習得した標準中国語(普通語=北京官話)が余り通じない。中国人が全員“中国語”を流暢に話せるわけではない。

 広西チワン自治区のような地域では日常言語は方言だ。かなり熱心に学習しないと標準中国語は上達しない。おそらくMは義務教育(小学6年+初級中学3年)もやっと終えた程度なのだろうと推測。

 結局Mはスマホの翻訳アプリで標準中国語や英語に翻訳して自己紹介。地元で5月に失業してから数カ月地元で職探しするも叶わず、仕事がありそうな北京で2カ月就職活動したが失敗。人生初めての海外旅行をしようと1カ月前に出国してスリランカへ。タイを経由して旧正月前に故郷へ戻る予定だ。

 ゲストハウスにはメイドが1人いるだけだが、やたらとメイドを呼びつけては中国語で怒鳴りつけている。スマホの翻訳アプリで英訳しながら中国語でなにやら威嚇する。英語は簡単な単語をいくつか知っているだけ。

 何を怒っているのか聞くと、翻訳アプリの中国語で「部屋の中がかび臭い」とのこと。ところが翻訳アプリが英訳を誤訳したらしく、メイドは放浪ジジイのラム酒を部屋から撤去して食堂の棚へ収納した。メイドによると「部屋の中が酒臭い」と中国人が騒いでいるので移動したと。

Mの非常識と自己中的行動

仏歯寺の次はキャンディー舞踊ショーが中国人団体旅行の定番コース。 ショーの後は市内の中華レストランで夕食となる

 Mは部屋のコンセントを独占してスマホと急速充電器と懐中電灯を充電。他方で部屋が臭いから部屋代を下げろとメイドに強談判。メイドが筆者に助けを求めてきたので、断固として拒否するようメイドにアドバイス。

 キャンディーは高原都市なので日没後は寒い。Mは部屋の空気を入れ替えるためと称して一晩中ファンを最強にしてドアを開け放していた。筆者は余りの寒さに寝付けず、夜中に寝袋を出して毛布を被って朝まで我慢。

 翌朝Mは「部屋が臭くて我慢できない」からと、翻訳アプリで筆者に説明して空いている隣室のベッドに勝手に移動。メイドが女性客2人の予約が入っていると説明しても、Mはドアのカギを閉めて動かない。結局メイドは使用していない別の部屋を掃除して女性客の部屋を準備した。

 次の日の早朝にMはチェックアウト。午後英語の達者なマネージャーがすごい剣幕でやって来て筆者にMの悪行を訴えた。Mはホテル予約アプリの評価欄で当該ゲストハウスに最低の評価を下して「部屋が臭くて寝られなかった」「スタッフが英語を話せず態度が乱暴」など罵詈雑言を書きまくったという。

Mの心中を察してみると負け組青年の重い現実が

 Mのお陰で不愉快な2日間を過ごしたが、Mという人間がどうにも不可解だった。Mはメイドをはじめスリランカ人全般について、礼儀を知らない非文明人だとバカにしていた。メイドは稀に見る働き者でゲストハウスは掃除が行き届きリネン類は清潔であった。しかも英語は日常会話に差し支えないレベルでMとは雲泥の差であった。

 放浪ジジイは50年前の学生時代に南欧・モロッコを3週間ほど貧乏旅行したことを思い出した。当時外国語は一切話せず英語もカタコトにも及ばないレベル。言葉が通じないので買い物やレストランで常に騙されまいと猜疑心の塊となりバカにされないように虚勢を張っていたように思う。そして日本に比べれば、外国は不便で遅れていると思い込んで内心では訪問国の人々をなんとなく軽んじていたのではないか。なにかMの心情が分かるような気がした。

 Mは地元の工場に長年勤務していたが、人員整理で失業。特段の技能も学歴もコネもない最貧地域出身の青年は就職面接で何度も落とされて自信喪失したに違いない。筆者が上記の上海婦人に出会った話をしたときMが「上海人は自分が金持ちだと自慢して態度が傲慢だ」と敵愾心を露わにした。いわゆる地方出身者のコンプレックスだろう。

 そしてMは心機一転のため20年近く節約して貯めた預金を下ろして夢に見た海外冒険の旅にでた。しかし現実の海外は言葉も通じず惨めなことばかりだったようだ。その鬱憤と反動がゲストハウスに対する評価とコメントに現れたのではないか。

 筆者にとり、中国貧困地域のいわゆる“負け組”の青年の心模様を肌感覚で知る機会となった。憧れの外国には自分の居場所がないと思い知らされたMは共産党支配の末端の労働者として従順に安月給で働くしか生きる道がないことを悟ったのだろう。


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