2024年7月16日(火)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2024年5月22日

 ジョージア政府は、同法案はジョージアの政治から外国の影響力を排除するために必要だと主張している。一方、同法案については、親露派のオリガルヒであり、元首相で与党「ジョージアの夢」の実際上の指導者であるビジナ・イヴァニシヴィリの方針によって、政府がロシアの勢力圏に逆戻りしつつあり、EU加盟の計画を壊そうとしていることの現れではないかとの懸念が持たれている。ジョージアは、昨年、EU加盟候補国の地位を得たが、ブリュッセルでは、ジョージアが民主化に逆行するのではないかとの懸念がある。

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大国間競争の中でのジョージアの存在

 ロシア・ウクライナ戦争が進行する中、その先の地域情勢を考えると、ジョージアは、バルト三国、モルドバなどとともに要注目の国である。ジョージアは、ロシアの最南西部に接する位置にあり、カスピ海と黒海に挟まれた南コーカサス地域の一国である(黒海には面しているが、カスピ海には面していない)。北はカフカス山脈を経てロシアと、南は(東から)アゼルバイジャン、アルメニア、トルコと国境を接している。

 現在の国際関係は大国間競争の時代と言われるが、そこに至るまで、ジョージアは何度か重要な契機となってきた。01年、米国で同時多発テロ事件が起こったとき、プーチン大統領は直ちにブッシュ大統領に電話をし、連帯の意を表明した。米露関係は懸案もあったが、穏やかな関係であった。

 一方、07年、プーチン大統領は、ミュンヘン安全保障会議に出席し、米国を痛烈に批判した。その間、プーチンの西側への姿勢の変化をもたらしたのは、北大西洋条約機構(NATO)拡大、ミサイル防衛もさることながら、いくつかの旧ソ連諸国における、いわゆるカラー革命の影響が大きいと思われる。

 特に、03年のジョージアのバラ革命、04年のウクライナのオレンジ革命によって、国境を接する隣国において、民衆の街頭行動によって政権が倒され、親西欧の政権が誕生したことは、プーチンに深刻な危機感を呼び起こしたであろう。

 それだけに、ウクライナとジョージアのNATO加盟を阻止することは、プーチンにとっては至上命題となった。08年、それが議題となったブカレストで開催されたNATO首脳会議には、プーチンが自ら赴き、反対論をぶった。


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