2024年7月27日(土)

Wedge REPORT

2024年5月31日

メディアに「問題」と「正しさ」を支配する権利があるのか

 こうした傾向は、共同通信に限った問題ではないが、なぜ、こうした報道が繰り返されるのか。詳細は4月に上梓したばかりの『「やさしさ」の免罪符 暴走する被害者意識と「社会正義」』(徳間書店)に記したが、たとえばWJS(Worlds of Journalism Study )が発表している、世界67カ国・2万7500人以上のジャーナリストへのインタビュー調査結果に顕れた、日本のジャーナリズムの特異な傾向も一因を探る手掛かりになるだろう。

 日本のジャーナリストを諸外国と比較すると、以下4点の傾向を読み取ることができる。

◎政治リーダーを監視・精査することを何よりも最重要視している。
◎それら権力の監視と時事問題の分析、人々の政治的意思決定に必要な情報提供こそがジャーナリズムと捉え、それは事実をありのままに伝える責務以上に優先される。
◎人々が意見を表明できるようにすることへの関心は極端に低い。
◎政治的アジェンダ設定も人々に代わりジャーナリズムが主導するべきで、それは事実をありのままに伝える責務に比肩するほど重要な役割と考えている。

 今や社会への影響力という点において、マスメディアは事実上、司法、立法、行政に比肩・干渉する巨大な権力者と言える。「何が問題か」「誰が弱者か」を恣意的に誘導するアジェンダセッティング、チェリーピッキングやほのめかしなどの印象操作、あるいは言いがかりに等しい報道や事実の担保なき独善で世論に影響を与え、人々を煽動し、結果的に政策や政権支持率、選挙結果を左右したり、場合によっては選挙で選ばれた政治家に「スキャンダル」をでっち上げて失脚させることさえできる。現に、メディアが過去の政権交代を煽ったことを自供したこともある。

 その一方で、マスメディアには専門的な知識と責任を担保する資格が不要かつ民主主義的な選挙で選ばれたわけでもない。任期はなく弾劾もできない。相応の責任を求められる制度すらない。情報開示の義務もない。これら巨大な権力が責任も問われず野放しにされたままでは、社会は国民主権ならぬメディア主権、法治主義ではなく「報治主義」にさえなりかねないのではないか。

 共同通信による上川外相発言報道は、社会が突きつけられた深刻な危機が示唆された、実に象徴的な出来事とさえ言えただろう。

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