2024年11月22日(金)

日本人なら知っておきたい近現代史の焦点

2024年6月26日

 そのようなコロンブスに対する見方の転換が、社会的に大きな動きとなっていったのは1990年代以降である。その一例として92年、歴史的にイタリア系移民との縁が深いサンフランシスコ湾岸地域において、コロンブスの到来500年を記念したイベントが大々的に行われようというのに合わせて、近隣のバークレー市が、コロンブスの日を祝うのではなく、その日を「アメリカ先住民の日」とすることを定めた。

 同じころ、サウスダコタ州では、コロンブスの日をアメリカ先住民の日とする法案が提出され、全会一致で通過している。その後、他の数多くの都市や州がその動きに続いた。

 サウスダコタ州のようにコロンブスの日をアメリカ先住民の日と名前を変えるというものもあれば、その日を「コロンブスの日・アメリカ先住民の日」と並列させるところもある。また、コロンブスの日とは別の日にアメリカ先住民の日を定めたところもあった。

ここでも見えるアメリカ社会の分断

 ただ、アメリカ社会全体がコロンブスに対する見方を大きく変えたわけではなかった。いまだにコロンブスの日を祝う人々も多く存在する。

 それに対して、コロンブスの日を祝うのをやめて先住民の日を祝おうという新たな姿勢を積極的に採用したのは、テキサス州オースティン、コロラド州デンバー、カリフォルニア州ロサンゼルス、ペンシルバニア州フィラデルフィア、ワシントン州シアトルなど数多くの大都市が挙げられる。興味深いのは、これらの都市が反トランプの都市と重なることである。

 2020年にミネアポリスでアフリカ系のジョージ・フロイド氏が、白人警官によって殺された事件が起きると、全米でアフリカ系差別に対する抗議運動が巻き起こった。それに伴い南北戦争において奴隷制維持を目指した南軍の大統領や指揮官の像が倒された。また、アメリカ大陸における白人支配の元凶としてコロンブスの像の首が落とされたのもこの流れの中であった。

 しかし、このような動きに批判的な人々も少なくはなかった。例えば、トランプ前大統領は、コロンブスを批判する動きに反対であり、20年の選挙運動中にはコロンブスの日を先住民の日とするという動きに対して、「われわれの歴史を破壊する」一つの例であると述べて批判している。それに対して、バイデン大統領は、アメリカ先住民の日について大統領布告を出した最初の大統領となった。

 分断する米国の世論の中、オハイオ州アクロン市のように、アメリカ先住民の日とすることを支持する市民とイタリア系の市民との間で軋轢が起きた都市も見られた。結局アクロン市は、10月の第一月曜をアメリカ先住民の日とし、第二月曜はそのままコロンブスの日とすることで妥協が成立しているが、このようにうまく収まった例は少ない。

 一つ国の中でもコロンブスの日に対する対応が分かれることが可能なのは、米国が連邦制をとっているからである。連邦の休日であっても連邦の機関が休日扱いになる以外は、それぞれの州や都市が自らの判断で対応を決めることが出来る。


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