周波数が異なる東日本と西日本
今利用されている家電製品のうちパソコン、テレビなどは、アダプターあるいは製品の内部で機器に送られてくる交流を直流に変換している。直流の乾電池、蓄電池ではプラス
極とマイナス極があり、常に一方向、プラス極からマイナス極に電流は流れる。交流ではプラスとマイナスが一定の周期で入れ替わる。1秒間に繰り返される周期の回数を周波数(ヘルツ)という。
東日本の周波数は50ヘルツ、西日本は60ヘルツだが、これは電力事業開始時に東日本の東京電力の前身の会社はドイツ・シーメンスから、西日本の関西電力の前身の会社は米国GEから発電設備を導入したためだ。周波数が異なる地域への引っ越しの際には注意が必要だ。使えるものと使えないものがある。テレビ、パソコン、電気炊飯器、掃除機、電気こたつなどは周波数が異なっても使用できる。冷蔵庫、扇風機などはモータが影響を受けるが、使用は可能だ。電子レンジ、蛍光灯などは、どちらの周波数でも対応している製品でない限り、使用できない。
周波数が異なるため、電気をそれぞれの地域をまたいで送る際には、周波数を変換する必要がある。東日本と西日本の境界は、日本海側の新潟県の糸魚川と太平洋岸の静岡県の富士川になるが、境界の近くには4つの周波数変換所が設置されている。変換は、交流の電気をいったん直流にして相手側に送った後、直流から異なる周波数の交流に再変換することで行われる。ただし、変換所の能力には限度があり、東日本と西日本との間で無制限には電気を送ることはできない。
直流推しのエジソン、交流推しのテスラ
さて、テスラは大規模な発電には交流が適していると信じていたが、エジソンは直流を推しており、二人の間では「電流の戦い」と呼ばれる事態が起こる。エジソンはテスラを高く評価していたといわれるが、働き始めて1年後にテスラはエジソンの元を離れる。原因はテスラの開発した技術に対する報酬額だったとされる。
テスラは資金を調達し、事業を興し、2年間で交流発電機、変圧器、モータなどで30以上の特許を得た。このテスラに注目したウエスティングハウスはテスラの特許権を購入した。1893年にシカゴで開催されたシカゴ万国博覧会(正式名称はコロンブスの米国大陸発見400周年を記念した「世界コロンビアン博覧会」)の電力供給をエジソンとウエスティングハウスが争ったが、ウエスティングハウスの交流システムが採用され、交流が優位に立った。
博覧会の中心テーマは、科学技術の発展と工業への応用であり、交流に関する多くの機器、配電盤、変圧器、モータ、発電設備、直流への変換装置などが展示された。交流では電圧を変えることで長距離の輸送が可能になること、変換により直流も使えることから、大規模な発電、送電では交流が有利であると多くの来場者に印象付けられた。