自転車に乗り、中年男性を襲った人物こそ、今回の身柄交換で焦点となったワジム・クラシコフ元大佐だ。このモスクワでの事件が起きたのは13年6月のこと。クリミア併合前のロシアは当時、ソチ冬季オリンピック(五輪)を目前にするなど社会、経済面で安定を見せていた時期だ。
ビジネスに成功した企業経営者らがマフィアに殺害される事件は依然として珍しくなかったが、この事件は多くのテレビ局が報じた。警察は14年1月、逃走したクラシコフの逮捕に向けて全国規模の捜査を開始した。
ただ、その後事態は不思議な展開を見せた。オランダの調査機関「ベリングキャット」によれば、クラシコフに対する逮捕令状は15年6月に突如、撤回されたのだ。その後、クラシコフの足跡は途絶えるが、事態は思わぬ方向に動き出す。
名前が変わる
ベリングキャットによれば、クラシコフに対し、逮捕令状が出されたという事実そのものが、当局のデータベースから消去されたのだ。ここで彼の足跡はいったん、途絶える。
そして、再び表舞台に出てきたのが、19年のことだ。ドイツの首都ベルリンの公園で、ロシア南部チェチェン共和国の独立派勢力の一員だったジョージア(グルジア)人、ゼリムカン・カンゴシュビリを白昼、銃殺した。このときもクラシコフは自転車を使ってカンゴシュビリに近づき、銃撃している。
クラシコフはドイツの警察に拘束されたが、そこで発見されたのは、「ワジム・ソコロフ」という偽名が記されたパスポートだった。生年月日も本来の1965年から、1970年に書き換えられていた。これは、明らかにロシア政府が関与して、クラシコフの素性を隠していたことを示している。
「愛国者の開放を望む」
クラシコフが逮捕された当初、関与を疑われたロシア政府は「まったくのいいがかり」(ペスコフ大統領報道官)と断じて、政府の関わりを否定した。しかし、事態はその後、大きく変化する
プーチン大統領が今年2月、米国人TV司会者のタッカー・カールソン氏のインタビューに答える形で、「米国の同盟国において」「コーカサスでの戦争でロシア軍兵士らを殺害した狼藉者を排除(殺害)した〝愛国者〟の解放を望む」と明言したのだ。