つまりこれは、チェチェン紛争でロシア軍と戦ったゼリムカン・カンゴシュビリを殺害したクラシコフの解放を望むということを意味する。
ただ、実際にクラシコフがどれほどの〝愛国者〟だったのかは疑問が残る。そもそも彼はなぜ、ドイツに渡るために偽のパスポートを政府から渡されるような人物になったのだろうか。
実はクラシコフは13年に先立ち、07年にもロシア北西部カレリア共和国での殺人事件にかかわった事実が判明している。地元の議員が失踪し、数カ月後にはバラバラ死体となって森に捨てられていたところを、地元住民に発見された。
その犯人の一人として浮かび上がっていたのがクラシコフだった。べリングキャットによれば、事件の7年後の14年に、同事件の犯人とされる容疑者2人が拘束され、その一人か、もしくは3人目の容疑者が、クラシコフだった可能性が高いという。クラシコフは事件の直前に、犯行現場の近くのホテルで宿泊していた事実が判明している。
クラシコフは当時、13年のモスクワでの殺人事件の容疑者として、警察が捜査を進めていた。しかし、15年には突然、その捜査は打ち切りとなったのは、前述したとおりだ。さらに、モスクワの事件だけでなく、カレリア共和国の事件も嫌疑が不十分として、当局は15年に捜査を打ち切った。
治安機関がリクルートか
いったい、何が起きたのか。なぜクラシコフはその4年後の19年に突然、偽名を使ってドイツに入国し、プーチン大統領が忌み嫌うチェチェン独立派の殺人事件を起こしたのか。
この疑問に対し、ベリングキャットは「最も有力なシナリオ」として、ひとつの仮説を提示する。この仮説は、十分に可能性があると筆者も考える。
それはつまり、13年の事件以降にいったんは治安当局に逮捕されたであろうクラシコフは、その際に当局の要求を受けて、FSBの手先として、海外でロシアの敵とされる人物の殺害を行うヒットマンになることに同意したというものだ。
ロシアの治安機関は、犯罪歴を持つ人物を、海外での暗殺行為などのためにリクルートすることで知られる。これは、犯罪歴があれば過酷な刑罰と引き換えに、いわゆる〝汚れ役〟を担わせることが容易だからだ。ちょうど、ウクライナ侵攻で注目された私兵集団「ワグネル」が、刑務所の囚人らに刑罰を軽減させる代わりに、兵士として雇い入れて最前線の戦場に投入した構図と似ている。
さらに、クラシコフにはすでに過去に、FSBで勤務した経験があるとみられている。治安機関はFSBや警察官などとして働いた経緯がある犯罪者を、特に〝有望〟な人物とみなすという。