歴史上繰り返されてきた失業への恐れ
このような機械による失業あるいは失業への恐れは、いまにはじまったことではありません。歴史上、何度も繰り返されています。
もっとも有名なのは第一次産業革命のときにイギリスで起きたラッダイト運動です。多くの労働者が紡績機によって職を失うことに不安を覚え、機械や工場を打ち壊したり労働環境の改善を求めたりしました。
日本でも同様のことはあります。1954年に郵政省が事務機械を導入しようとしたところ、人員整理がはじまるかもしれないという不安が強まり、座り込みの反対闘争が行われました(科学技術庁 2013: 57)。結果として郵政省は事務機械の導入を見送っています。
今後さらにコンピュータが高度化・ネットワーク化・遍在化していき、生成AIのレベルも向上していくことを考えると、「これからは創造性が大切である」といったとしても、そう簡単なことではありません。コンピュータは、もはや単なる定型的なタスクを行うだけではないからです。
もしこれから創造性が大切になるなら、創造性とはいったいなにか、これから重視するべき創造性とはいったいなにかについて、正面から深く考えていく必要があるでしょう。
正直にいいますと、このテーマは、私自身にとっても本当に大切です。研究者は、創造性の一要素である「新しさ」のあることをしないと評価されないからです。そのため自分なりの創造性を作り出していかなければなりません。
また教育者として未来を担う学生を育てる立場からも創造性に向かいあわなければなりません。すでに大学では2000年代に生まれている若者が圧倒的多数です。人生100年時代が本当なら、そういった人たちは2100年の社会を目にします。
プラグマティズムを展開したジョン・デューイは、「教育者は他のどのような職業人よりも、遠い将来を見定めることにかかわっている」(デューイ 2004: 121)といいました。不確実性が増しているなかで、遠い将来を見通すことはきわめて困難になっていますが、それでも教育者は未来と向かいあうことが求められています。
創造性が求められているいま、創造性をどのようなものと考え、どのようにして学生の創造性を育めばよいのでしょうか。