焦点を当てるべきは
団塊ジュニア以下の世代
だからこそ日本社会では、孤独・孤立を社会問題と捉え、政策対象にしてきた。しかしながら残念なことに、「問題」が本格化するのはこれからだと言わざるを得ない。とくに注目したいのが団塊ジュニア以降の世代である。
国立社会保障・人口問題研究所が国勢調査のたびに発表している、日本に住む50歳の人の未婚率(50歳時未婚率)は上がり続け、20年には男性28・3%、女性17・8%に達した。もはや日本はほぼすべての人が結婚していた皆婚社会ではない。
20年に50歳を迎えた人たちは、いわゆる団塊ジュニアにあたり、人口的にかなりのボリュームがある。20年における50歳時未婚率の増加は、家族というつながりをつくらなかった相当数の人が、いよいよ高齢期を迎えることを意味している。これは日本社会が初めて経験する事態だ。
古くは1970年代に提唱された「日本型福祉社会」論に見られるように、日本社会は家族成員による福祉を重視していた。その傾向はソーシャル・サポート研究にもしっかりと現れている。人々のサポートの中心を担っているのは家族であり、なかでも、配偶者・親・子のサポート効果はとりわけ大きい。
日本社会で事実婚は少数だ。したがって、結婚をしない人は子どもがいないと考えて差し支えない。ゆえに未婚者は子どものサポートを期待できない。親についても、自身が50歳になれば、サポートを期待するというより、親を支える側に回るだろう。つまり、今後は家族という最大のサポート源をもたない多くの人がいよいよ高齢化してゆくのである。
家族主義的な日本において家族を代替するつながりは今のところ見つかっていない。モノやサービスの充実を原動力とする資本主義社会では、誰かとつながる必要性は減じられ、つながりはますます〝嗜好品〟の位置に追いやられてゆく。そうなると、団塊ジュニアよりも若い世代は今よりもさらに結婚や人づき合いから遠のいていくだろう。こうした若い世代の一定数が孤独・孤立の問題を抱えるのは想像に難くない。以上の点を鑑みると、この問題が本格化するのはこれからだと言えよう。
「つながり」や「縁」を強制することが現実的ではない現代社会では、つながりの場の提供と合わせて、個々人が誰かとつながるよう積極的に動くことを求められる。
確かにつながりには面倒な側面もある。しかしながら、杉岡良彦氏による研究「孤独に関する医学的研究と人間の孤独性」などでも示されているように孤独・孤立が個々人の心身に悪い影響を及ぼすことは明らかだ。そして、つながりは急にできるものではない。むしろ、自己責任論の強い日本では体調不良や経済的な困難など、つながりが必要な時ほど、人に迷惑をかけまいとつながりから遠ざかる傾向にある。だからこそ、健康なときに誰かとつながることを意識する必要があるのだ。
あまり構えなくてもよい。無理して会話をしたり、誰かと友達になったりする必要もないだろう。大事なのは、どこかの場に身を置いておくこと、それをあまり億劫がらないことだ。身体が動くうちにそういったことをしておくことが肝要である。
一人で様々なことができる社会は、何をやるにも誰かと調整する手間が減り、気楽で便利だ。現代社会は「縁」をしがらみと捉え、そこからの解放を求めてきた。そして「おひとりさま」ブームや「ソロ〇〇」の流行にみられるように、一人でいることも自由として肯定されるようになった。しかし、私たちが選んできたそのような社会は人とつき合うことに積極性を求められ、孤独・孤立の不安にさらされる社会でもある。
孤独・孤立に陥る自分を認めたくない、想像したくもないかもしれない。だが、現代は気が付かないうちに多くの人が孤独・孤立と隣り合わせになってしまう社会である。だからこそ、自分が今、どのような状況に置かれ、どのような備えが必要なのか、あるいは備えられるのか。その点を個々人が自覚することから始めるべきなのである。