2024年12月22日(日)

WEDGE REPORT

2024年10月3日

 当夜宴の後の大使館での反省会では、大使が開口一番「ドロンさんに席巻されたな。大臣や政治家の存在も掻き消えそうだったな」という趣旨の発言からはじまった。当夜は『崩壊した帝国』はじめロシア関連の多くの書籍で知られる政治・歴史学者であり政治家のエレーヌ・カレール・ダンコースも出席していた。その他にもメディアでその顔を見かける大臣が幾人か出席していたが、アラン・ドロンとミレイユ・マチューの輪舞にはかなわなかった。

個人の発信する国家イメージ

 人の心は計り知れない。合理的判断でことは動かない。外交もしかりだ。何事においても世界一で、国際社会をだれよりもよく考えているアメリカ外交だが、結局はアメリカ的な世界観でしかない。みんなアメリカがリーダーにふさわしい国だと認めていながら、世界はアメリカの世界観だけでは動いていない。

 パブリック・ディプロマシーという言葉は冷戦時代の1960年代からあった。ジャズやスポーツ、ハリウッド映画の世界的普及などは戦後アメリカの文化外交のツールだ。

 そして冷戦終結後アメリカは軍事力や経済力ではなく、どのようにして相手の国を平和的・和解的に説得し、協力的にしていくのか、を模索することになる。冷戦の覇者の力量の見せ所だった。ジョゼフ・ナイの書籍によって有名になった「ソフトパワー」である。

 しかしその後ひと世代がたち、私たちは知ることになる。世界はソフトパワーではなく、パワーポリティックスの魑魅魍魎の世界に逆戻りしつつある。こうした中で「平和国家」を標榜する日本外交にはその世界の平和と安定のための「国家イメージ戦略」をもとにした外交が求められている。

 ソフトパワーがその外交的な影響力を発揮するには、良いイメージが不可欠だ。その背景には歴史があり、それに支えられた奥深い文化があり、他方で先進的な技術や進取の気性がある。そして何よりも国家のイメージ・ブランド力には信頼・尊敬が必要となる。筆者の持論である。日本の条件は悪くない。

 筆者は日ごろから文化外交を語るときにフランスの例をよく出す。その際に、「人」そのものが外交のツールであるとよく指摘している。

 つまりフランス人は世界中どこに行っても生活していくことができるのではないか。フランス人というだけでそこに人々は一つの受け入れやすいイメージを持っている。誰かしら相手になってくれる。人そのものが国家ブランドなのである。

 そしてそのイメージは好感度の高いものであることは改めて言うまでもない。外交にとってそのイメージはとても大切だ。

エレガンス—文化の「ブランド化」と物語

 「D'URBAN, c'est l'élégance de l'homme moderne.」(ダーバン、セレレガンス、ドゥローム、モデルヌ)=「ダーバン、現代を支える男のエレガンス」。これはアラン・ドロンが出演したレナウンの紳士服ブランド「ダーバン」のテレビコマーシャルだ。アラン・ドロンは「男のエレガンス」を代表し、それがフランス人のイメージづくりに貢献したことは否定すべくもない。

 ダーバンの宣伝にこめられた「エレガンス」のブランドイメージはなんだったのであろうか。日本大使公邸の宴で外交官夫人の前にひざまずいた世界的なスターの姿はギャランという人間本性の自然な表現だが、それは間違いなく「エレガンス」であった。それこそフランス文化である。

 「エレガンス」という言葉をうまく説明できなくとも、それは「エレガンス」だ。アラン・ドロンの行為は本人もさほど意識していないとっさの所作であったかもしれないが、であればなおさら、良質なフランス文化の表出であった。フランスかぶれであろうとなかろうと、それは誰にでもできることではないし、様になっていること、それこそが「ブランド」ではないか。


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