ブログが新しい公共圏(ブロゴスフェア)をつくり、ファクトチェックや人々の議論も活発になるはずだという期待が高まった。インターネットは民主主義を強化するツールになると考えられたのだ。
2000年代半ばには、フェイスブックやツイッター(現・X)が登場し、07年にはアイフォーンも発売された。人々は「小さいコンピューター」を持ち運ぶようになり、それまで以上に、いつでも、どこでも、自らの主張を発信し、やりとりできる環境が生まれた。
だが、10年代に入るとその期待は裏切られていく。人々はネットに溢れる情報を処理しきれず、安易な主張に飛びつくようになったからだ。その象徴が、トランプ氏が勝利した16年の米大統領選だ。SNSで陰謀論やフェイクニュースが横行し、社会の分断を加速させた。
政治的コミュニケーションを豊かにするはずのITツールだが、実は民主主義と相性が悪い。使い方を誤るとポピュリズムを加速し、危険なものになることがいまや明らかになっている。
その後、20年代に期待を集め始めたのがAIである。
AIブームは人々がネットの可能性に失望し始めたときに現れたのだ。「人間は大量の情報を処理しきれない、それならばAIに政治的な判断を任せた方が正確だし楽なのではないか」──。
こうした「諦め」のもとにいま勢力を拡大しているのが、政治を機械化しようとする「人工知能民主主義」の思想なのである。
移ろいやすい一般意志
大切なのは「考えること」
私たちは日々の暮らしの中で、AIによるレコメンデーションに慣れ親しんでいる。例えば、アマゾンのアプリを開くと、過去の消費行動からAIが自分の嗜好に合う商品を推奨してくれる。それはたしかに便利だ。
しかし、その延長線上で政治の省力化を構想してはならない。
※こちらの記事の全文は「Wedge」2024年11月号特集「民主主義は 人々を幸せにするのか?」で見ることができます。