今年7月、東京都知事選である一人の候補者が話題を集めた。
「テクノロジーで誰も取り残さない東京へ」を掲げたAIエンジニアでSF作家の安野貴博氏である。
安野氏はAIの力を活用して、様々な民意を反映させる「デジタル民主主義」を掲げて選挙戦を戦った。
結果は15万4638票の全体5位であったが、近年、人々の間に広まる民主主義への疑念、失望なども相俟って、「AIの力で民主主義をアップデートできるのではないか」という考えや期待が広がった。その意味で、安野氏は従来の選挙戦のあり方に一石を投じたと言える。
AIが爆発的に普及する中、その存在感がますます高まることは間違いない。行政改革にはAIを積極的に導入し、効率化や透明化を進めていくべきだ。従来の仕組みでは拾いきれなかった民意を抽出し、政策に生かせるかもしれない。その点で私は安野氏と同じ立場だ。
ただ、問題もある。私はAIの導入には賛成だが、それに過度に期待するのも誤りだと考えている。最近は、AIを利用すれば社会のより効率的な運営が可能であり、政治は半ば自動化・機械化できるという考え方が、テック界隈でたいへん強くなっている。私はそれを「人工知能民主主義」と呼んでいる。
現在、民主主義は危機に瀕している。したがってそのような期待が出てくる心理は理解できる。しかしその発想は実は危険で、人間社会の本当の問題から目を逸らすものになっている。
なぜそう言えるのか。それを考えるには、まず、インターネット誕生の歴史と民主主義との関係性を振り返っておく必要がある。
インターネット普及初期の1990年代から2000年代前半には、ネットの登場で誰もが自らの主張を世界中に発信できる環境が生み出されたと言われた。特に注目されたのは「ブログ」だ。