小誌は、2024年2月号で「霞が関の危機は日本の危機 官僚制再生に必要なこと」という特集を組み、前明石市長の泉房穂氏に、これからの日本の政治家、官僚に求められる役割を聞いた。取材中、終始、身振り手振りを添えて熱心に語る泉氏であったが、最後にこう強調したのが印象に残った。
「私は民主主義が大好きなんです。社会は必ず変えられる。日本にはまだまだ希望があるんです」
そう語る泉氏の原動力は何か、そして、日本で民主主義を機能させるために必要なことは何かを聞いた。
編集部(以下、─)泉さんはなぜ「民主主義が大好き」なのですか。
泉 それは、民主主義のもとでは、自分たちの社会は自分たちが作り、自分たちで変えられるからです。
私が明石市長の選挙に立候補した時、既存政党、議会、マスコミの全てがいわば「敵」でした。それでも私は「諦めてはいけない」「私たちは勝てるんだ」と何度も語りかけ、結果的に市民は私を当選させてくれました。本当にありがたかった。
そもそも政治家と市民は別物ではありません。市長である私も市民の一員だから、私たちの力でまちを作り、明石市は大きく生まれ変わりました。
でも、今の国会議員を見てください。私なんか「まるで裸の王様だらけやん」と率直に思いますね。政治の世界が国民、市民から遠すぎます。
そもそも、日本は自分たちの力で「民主主義」を勝ち取った国ではありません。アメリカでは独立戦争があり、フランスではフランス革命があり、韓国でも軍事政権をひっくり返した。日本にも大化の改新や明治維新があるではないか、という意見も承知していますが、結局は、貴族や武家によるクーデターや幕藩体制の終焉であり、民衆が勝ち取ったものではない。上が変えて、民衆はそれに従う。それが「お上意識」や「誰かがやってくれる」という諦めや依存体質につながっています。
私は自分自身を「民主主義の申し子」だと思っています。自分で言うなよ、と突っ込みが入りそうですが、私は人生の中で民主主義の実践を貫き通してきました。私は、子どもの頃から選挙が好きで、選挙で道を切り開いてきました。生徒会長もやりました。
選挙のいいところは、年齢や性別、金銭の多寡などに関係なく、一人ひとり同じ一票を持っているということ。お金持ちだけ比率が高いわけではないから、普通の庶民が応援すれば、ひっくり返して勝つこともできます。私は東京大学の学生時代、駒場寮の寮長に立候補して、駒場寮を長らく牛耳っていた〝支配者たち〟による支配に終止符を打った経験があります。
駒場寮には当時、お風呂の入浴回数は週2回か、3回か、とか、入浴時間は何時から何時までといったルールがありました。「そんなの当たり前だろう」と思われる読者もいるでしょうが、私には支配者が決めたルールを唯々諾々と受け入れるのではなく、「自分たちの寮生活は、自分たちで決めよう」と仲間とともに立ち上がった。
寮生は当時400人くらいいたと記憶していますが、多くは消極的で、「寮委員、一緒にやらんか?」と言っても、10人も集まらない。
でも、僕が勝ったら、40人を超える委員が集まった。そこで、寮の広報紙を発行したり、女子大生との交流を活発にしたり、東大駒場祭に合わせて、「駒場寮祭」もぶち上げて、72時間ぶっ通しで麻雀大会をやったりしました。
すると寮生たちが喜ぶわけです。これが私にはたまらなく嬉しかった。つまり、自分たちのことは自分たちで決め、自分たちのやれることを増やしていくということです。
─それは泉さんが明石市で実践したことと同じではないでしょうか。
泉 その通りです。生活に近いことは自分たちで決める。その代わり、手間とリスクは行政が引き受け、サポートする。そうすると、普通の市民は自然と立ち上がるんです。私は市長時代、国に対して「上から命令するな」とよく言いました。だから、市民に対しては、市から命令せずに地域に任せるようにしました。
日本では、いまだに一番上が国で、その次に都道府県、市町村と続き、一番下が市民という上下関係のような発想が続いていますが、果たしてこれが正しいのでしょうか。私はそう思いません。一番遠いところで現地現物が見えてないような人たちが指示する時代ではないと思います。
私が言い続けたのは、「ど真ん中が市民である」ということ。そして、一番のど真ん中の市民や子どもから最も近いところにいるのが市町村ということ。一人ひとりの願いを叶え、それを応援するのが真の政治なのです。都道府県でも、市町村と比べると距離が離れてますね。