93年に導入が決まったフリーエージェント制度も、本家の米大リーグでは「選手の権利」として選手が球団側と戦った末に制度を確立させたのに引き換え、日本では他球団の主力選手を獲得したい巨人が積極的に導入に動いた結果だ。12球団の戦力均衡や共存共栄という意識の乏しい巨人は、自分の都合がいいように球界のルールを捻じ曲げ制度を変えてきた。
近鉄消滅の衝撃
巨人戦で潤うセ・リーグに引き換え、経営規模が大きい親会社からの支援で球団を維持し続けるパ・リーグという構図が限界を迎えたのが04年だった。
2月1日のキャンプイン直前、年間約40億円という大幅赤字に苦しむ近鉄球団は起死回生を狙って破天荒なプランを公表した。チームを近鉄が保有したまま、「近鉄」という球団名を他の企業に売却するという、「ネーミングライツ」ビジネスで苦境を乗り越えようとした。
ところが直後に開かれたオーナー会議で賛同を得られなかった。反対の急先鋒となったのが96年に巨人のオーナーとなった渡辺だった。「協約上認められない」と近鉄の提案を一蹴。公表からわずか6日間で近鉄の再生プランはとん挫してしまった。
2府3県にまたがり営業距離は総延長500キロを超し、JRを除けば日本一の規模を誇る近鉄だが、97年に新たな本拠地とした大阪ドームの観客動員が激減し、年間11億円の球場使用料が重くのしかかっていた。加えてグループ企業がバブル期に投資したゴルフ場開発で巨額の負債を抱えるなど苦境が続いていた。
「命名権売却」に失敗した近鉄が最後の手段として打ち出したのがオリックス球団との合併だった。同年6月13日、日本経済新聞は1面で「近鉄・オリックス合併へ」と両球団の合併計画を特報した。表向きは「合併」だが、実際は近鉄本社が「お荷物」の球団をオリックスに売り渡した「球団売却」である。
日曜日の朝に発覚した大ニュース。近鉄本社の山口昌紀社長は午後2時から会見し「鉄道という公益事業の性格上、回収の見込みがない経営資源を野球に投入していくのは無理だと判断した」と報道を認めた。
4日後の17日に開かれたパ・リーグの臨時理事会。議題は当然、両球団の合併だった。
「5球団で果たしてリーグ戦を維持できるのか」など合併に伴い、様々な問題が出てくることが予想されたが、理事会はすんなり合併を承認。合併球団の本拠地を神戸、大阪のダブルフランチャイズとすることが決まった。簡単に合併が認められたのは、別の思惑が裏で動いていることを予感させた。
独り歩きした「失言」
球団の譲渡など重要事項はオーナー会議の承認が必要になる。注目のオーナー会議は7月7日に開かれた。議長は渡辺である。そこでは「近鉄とオリックスの合併」は既定路線に過ぎず、新たな衝撃的発言が飛び出す。26年ぶりにオーナー会議に出席した西武の堤義明オーナーが「パ・リーグでもう一つの合併話が進んでいる」と明かした。
2組目の合併が実現したらパ・リーグは4球団となり、リーグ戦の運営はより困難になる。そこでセ・リーグの6球団と一緒になり、10球団の1リーグに再現しようという狙いが透けて見えた。
1950年に2リーグ制が誕生してから半世紀余。日本のプロ野球が再び1リーグ制に戻ることになるのか。近鉄とオリックスの合併は、球界全体の再編へと突き進む可能性が出てきた。
まさにそんなタイミングで渡辺の「失言」が飛び出す。