2025年12月5日(金)

災害大国を生きる

2025年1月24日

確かに行政の仕事ではある
それでもやらねばならない

 一方で、今回従事した作業に限ると、けがの危険が常に伴うものであったことは事実だ。側溝のふたの厚さは約20センチメートル。重さも20キログラムほどあり、2人がかりでも持ち上げられない。「指、気を付けて」と常に声を掛け合いながら四苦八苦した。

開けたふたを「閉める」作業は至難だった。土のう袋も業務用車でなければ効率的に運べない

 ボランティア保険が存在することも頷ける。「本来であれば行政が担うべき仕事ではないか」という率直な声も参加者から聞こえてきた。

 前出の山下さんは言う。

 「どこまでを私たちが担うのか、行政とは丁寧に協議しています。しかし、行政が『いつできるかが分からない』というのが目下の状況です。これを放置すれば、二次災害が広がるかもしれない。そうすると、町の雰囲気も風景も変わらないままです。『いつも詰まっていた側溝が流れるようになった』と、目に見えて課題が解決することで、住民たちは前を向くことができるんです」

 「善意」を頼みの綱とし続けることには限界があるが、ボランティアの人々の善意が、住民たちにプラスの影響を与えていることは間違いなかった。

 ボランティア当日に聞いた、ある参加者の言葉が忘れられない。

 「僕の家は2018年の西日本豪雨で流されました。僕らはそのとき、義援金やボランティアの人たちの存在がなければ、生きていくことができなかった。いただいた恩義を返すためなんです。だから、ここに来たんです。返すなら、今しかない」

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Wedge 2025年2月号より
災害大国を生きる 積み残された日本の宿題
災害大国を生きる 積み残された日本の宿題

「こういう運命だったと思うしかない」輪島市町野町に住んでいた小池宏さん(70歳)は小誌の取材にこう答えた。1月の地震で自宅は全壊。9月の豪雨災害時は自宅周辺一帯が湖のようになったという。能登半島地震から1年。現地では今もなお、土砂崩れによって山肌が見えたままの箇所があったほか、瓦礫で塞がれた道路や倒壊した家屋も多数残っていた。日本は今年で発災から30年を迎える阪神・淡路大震災や東日本大震災など、これまで幾多の自然災害を経験し、様々な教訓を得てきた。にもかかわらず、被災地では「繰り返される光景」がある。能登の現在地を記録するとともに、本格的な人口減少時代を迎える中、災害大国・日本の震災復興に必要な視点、改善すべき方向性を提示したい。


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