2025年4月18日(金)

プーチンのロシア

2025年2月8日

完全な無風に終わった2025年大統領選

 こうした経緯に照らせば、25年のベラルーシ大統領選がまったくの無風に終わったのも、無理からぬことであった。ルカシェンコ体制側は、前回余裕を見せすぎて「うっかり」チハノフスカヤ氏に出馬を許し大荒れになってしまった教訓を踏まえ、今回は水も漏らさぬ厳格な態勢で臨んだ。そもそも、ルカシェンコを候補者に登録する時点で、有権者の35%に当たる250万人が擁立に賛成する旨の署名をさせられており、何をか言わんやだ。

 今回の選挙で、ルカシェンコの他に出馬を許されたのは、4人だけ。そのうち、セルゲイ・スィランコフ、アレクサンドル・ヒジニャク、オレグ・ガイドゥケビチの男性候補3人は翼賛政党の代表で、あろうことか選挙戦でルカシェンコを支持する立場すら示していた。

 残り一人の女性候補、アンナ・カノパツカヤも単なる添え物にすぎず、本物の対抗馬ではない。欧州などに身を寄せている民主派勢力は、選挙で「すべての候補に反対」と投票するよう有権者に呼びかけたが、そうした消極的な戦術では、チハノフスカヤという具体的な反ルカシェンコ票の受け皿があった前回と異なり、意気が揚がるはずもない。

 1月26日に行われた投票の結果(実際には期日前に投票を済ませた有権者も多かった)、中央選管の公式発表によれば、投票率は85.7%であり、うち86.8%がルカシェンコ候補に投票したとされた。この期に及んで、ルカシェンコが過去最高の得票率をたたき出してしまったわけで、もはや究極の出来レースという他ない。86.8%というルカシェンコの最終的な得票率に関し、専門家界隈で唯一議論となったのは、24年3月のロシア大統領選におけるプーチンの得票率87.3%を超えることだけは遠慮したのではないかという点だった。

 そして、前回20年との際立った違いが、不正選挙に憤り抗議に立ち上がる動きがほとんど見られなかったことである。とはいえ、上述の「弾圧のベルトコンベア」が猛威を振るっている現状では、無理からぬところだ。こうして、「墓場の平和」が、ベラルーシを覆い尽くすことになった。

あまりにも生々しいウクライナの戦乱

 このように、徹底した暴力と、ロシアの後ろ盾によって成り立っているルカシェンコ体制を、個人的に擁護するつもりは毛頭ない。ただ、ルカシェンコが国民の支持をある程度回復したこともまた、否定できない現実であるように思われる。

 今回の大統領選において、ルカシェンコは案外50%くらい獲ったのではないかというのが、筆者の感覚である。公式発表の86.8%はいくら何でも盛りすぎだが、有力な対抗馬の不在もあって、今回は過半数の支持くらいは集めたのではないだろうか。

 そして、ルカシェンコが支持を回復する上で、重要な要因となったのが、ロシア・ウクライナ戦争である。旧ソ連の中でも、第二次世界大戦の独ソ戦による被害がひときわ大きかったのがベラルーシであり、「戦争さえなければ」というのが同国民を特徴付けるメンタリティだ。

 そうした中、きわめて身近なロシアとウクライナが戦火を交えている事態は、ベラルーシの人々にとり文字どおりの悪夢である。「戦争が起きていない我が国の状況は比較的マシ」と彼らが感じても、不思議ではない。そう考えると、おそらくプーチンから水面下で再三要請がありながら、ルカシェンコがベラルーシ軍の参戦を回避してきたことが、ベラルーシ国民の支持を繋ぎ止める上で死活的だったと考えられる。

 上の図は、再び英チャタムハウスによるベラルーシでのアンケート調査結果であり、24年2月に「貴方が最近ベラルーシに生きていてよかったと実感したのはどんな点か?」と問うた設問の結果である。ご覧のとおり、「戦争がない」という回答者が最多で、64%に上った。ロシア・ウクライナ戦争の惨劇があまりに身近で生々しいため、「戦争に巻き込まれないためには、暴君ではあるけれど、まあルカシェンコで仕方がないか」という諦めムードが支配してしまっているのが、今のベラルーシである。

 むろん、戦争を回避するためには、ベラルーシ国民はルカシェンコの暴政を甘受しなければならないなどという理屈は、冷静に考えればおかしい。それでも、「ベラルーシは戦争に巻き込まれる瀬戸際にあり、それを阻止する唯一の手段は、強い大統領だ」という神話に訴えることで、ルカシェンコは一定の支持回復に成功したと考えられる。

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