2020年に起きた「不正」
25年ベラルーシ大統領選の位置付けや焦点を正しく理解するためにも、まず前回の20年大統領選をおさらいしておくべきだろう。実は、その前年くらいまでは、ルカシェンコ氏は20年の選挙も余裕で乗り切り、たやすく6選を果たすのではないかという見方が有力であった。しかし、選挙年に入ってからの情勢変化で、雲行きが変わり始める。
中でも影響が大きかったのが、新型コロナウイルスのパンデミックだ。ルカシェンコ氏は「コロナなど恐るるに足らず」という態度をとり、ベラルーシは周辺国のような厳格な措置を打ち出さなかった。ルカシェンコは、「我が国においては国の強力な指導により安定・秩序が常に保たれる」という神話を作り上げてきた。コロナ禍でもその神話にこだわり、「ウォッカを飲めば感染などしない」といった放言を繰り返していた。
ところが現実には、国の無策により感染は拡大の一途を辿り、最終的には大統領本人もウイルスに罹患するというオチまでついた。こうして、民心はルカシェンコから急激に離れたわけである。
ベラルーシ大統領選では、体制側は危険な対抗馬の候補者登録は認めないのが通例である。20年の選挙でも、ビクトル・ババリコ、バレーリー・ツェプカロ、セルゲイ・チハノフスキーといった有力な人物は出馬自体が阻まれた。そこで、夫セルゲイの代わりに立候補し、結果的に野党統一候補の役回りを果たすことになるのが、スベトラーナ・チハノフスカヤという女性だった。ルカシェンコ陣営は、「素人の主婦にはどうせ何もできない」と見下し、お目こぼしをしたのだろう。
しかし、現実にはチハノフスカヤ候補は強力な求心力を発揮し、地方遊説には多くの群衆が詰めかけた。その選挙戦略は、きわめてユニークなものだった。
「自分が大統領選に勝利したあかつきには、今獄中にいる夫たちを解放し、半年以内に今度は正式な大統領選挙を実施する」という一点に、主張を絞ったのである。あくまでも、ルカシェンコ政権が国民の多数派から支持されていないことを明らかにするための便宜的な受け皿に徹する姿勢だったのだ。
蓋を開けてみると、案の定、政権側による投票・開票の不正が明らかになってゆく。中央選管は、開き直ったかのように、ルカシェンコが80.1%を得票し圧勝したと発表した。
近年のベラルーシでは自由な世論調査や出口調査ができないので、20年にルカシェンコが実際にどれだけの支持を得ていたのかを知る手掛かりは乏しい。そうした中、英シンクタンクのチャタムハウスが選挙後にベラルーシで敢行したアンケートで「貴方は誰に投票したか?」と問うているので、その貴重な調査結果を公式発表と比較しつつ、図1でお目にかける。チャタムハウスの方が現実に近いとするならば、当局はルカシェンコの得票率を実に4倍も水増ししたことになる。