2025年4月18日(金)

Wedge REPORT

2025年4月15日

 長年、諏訪信仰の研究を続けてきた北村皆雄は、監督の弘が<これほど鹿に固執して作るとは、プロデューサーの僕自身も思いもよらなかった>と振り返る(「鹿の国」公式ガイドブック、以下引用は同)。

 中世諏訪神社の一年間の神事を記した「年内神事次第旧記」に「鹿なくてハ御神事ハすべからず」という言葉が残されている。実際、この地では毎年4月15日の「御頭祭(おんとうさい)」で何体もの鹿の生首を豊作のための供物として神に捧げてきた。

「御頭祭」は映画の中でも紹介されている(弘理子監督提供、以下同)

 「でもその理由は書いてないんです。これまで民俗学の記録映画をつくってきた北村プロデューサーは、人間と儀礼、人間と祭りがテーマなんですが、私は毛利さんとNHKの『ワイルドライフ』を撮ってきたように、人よりも自然が先に立つんです。人や儀礼が入ることもあるんですが、やっぱり風土が関わらないと私自身が面白くないなっていうのがずっとあったんです」

鹿〝目線〟で感じる四季の移り変わり

 諏訪信仰の研究者は多い。「神仏集合など歴史の話に詳しい人は本当に一杯いるんですけど、自然に視線を向ける人が意外にいなかったんです。なんでだろうと思っていたら違うものが見えてきて、自分は彼らのような学者ではないから、そっちからアプローチしようと」

 <人里離れた山をひとりで歩いていると静かな緊張感に包まれ、感覚が鋭敏になっていく。頬をなでる風の冷たさ、何かがそっと歩く音、濃厚な獣の臭い。暗い森の中で一筋の光の中に立つ鹿に出会うと、私たちが持ち得ない〝素の命〟のようなものを憶えずにはいられない>。優れた書き手でもある弘の言葉だ。

 「よく『自然が巡る』とか『命の循環』と言葉でわかっているつもりになっていたんですけど、〝素の命〟を感じる中で、人間を軸にしたドキュメンタリーにはしたくはないと思ったんです。じゃあ何にするかといったら、四季しかないと思って、その瞬間、季節の移り変わりを体感したんです。鹿の体も角も肌の斑点も毛も、季節とともに見事に変わっていく。そんな変化の中に私たちもいるんだと実感して」

鹿を通じて四季を感じることもできる

 毛利の撮る鹿のスローモーション(ハイスピード撮影)に、カメラマン、明石太郎の稲の芽吹きをとらえたコマ送りの映像が重なり、死というゴールに向かう生の躍動、儚さを見る者に感じさせる。舞い下りる雪のように、説かずに語る静かなナレーションも耳に心地よい。

 「自分たちも、変わってないように思うけど、やっぱり1年1年変わっていっているわけですから。それがある日途切れる。鹿の視線に近づいているみたいな体験でした」


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