欧州はその安全保障のために各国が協力しようとしているが、その動きは、第二次トランプ政権下で突然噴出した米欧間の軋轢により、さらに真剣に議論され、早まる傾向にある。
NATO成立時の英国の役割
1946年から49年の北大西洋条約機構(NATO)成立に至る歴史を振り返ると、特に英国が米欧間の協力関係を築く上で果たした役割は大きかったが、現在の英国にその役割が期待できるかは大きな課題である。
46年の時点では米ソの間で、ポーランドなどの東欧全体につき、そしてイランやトルコに関し意見の相違や猜疑心は深まりつつあったが、いまだ冷戦には突入していなかった。しかし米ソ間の対立を予想して、米英両国はその共通の利益故に協力関係を深めていった。
46年12月には、ドイツの米英占領地域が統合され、47年3月にはギリシャとトルコに対する英国の援助を米国が肩代わりすることになり、同年6月にはマーシャルプランが発表され、英国は欧州諸国がこの申し出に積極的になるよう、率先して支援の申し出を受諾した。その後ソ連によるマーシャルプラン拒否、47年10月のコミンフォルム宣言と米ソの対立が深まるにつれて米英両国の協力は進展し、それが米国と欧州との協力関係に発展した。
48年3月、英国、フランス、オランダ、ベルギー及びルクセンブルグの5カ国は、ヨーロッパに対する攻撃に対し保有する全手段を用いて反撃することを約束し合った(ブラッセル条約)。英国はこの条約に米国を引き入れる上で外交上の重要な役割を果たした。
米国は欧州防衛に防衛装備の売却などで事実上の協力をするとの姿勢を示したが、英国は事実上の協力姿勢では不十分だとし、条約上のコミットメントが不可欠だと強く主張した。これに決着をつけたのは48年6月のソ連によるベルリン封鎖であり、その封鎖解除に向けた協力関係を経て、49年4月に NATO が結成された。

