2025年12月5日(金)

オトナの教養 週末の一冊

2025年4月26日

時勢も後押し、狂歌・戯作本ブーム

 吉原の貸本屋だった蔦重は安永3(1774)年、24歳で鱗形屋孫兵衛の吉原細見(ガイドブック)作りに関わる。そして同年、版元・耕書堂として最初の出版物遊女評判記である『一目千本』を世に問うたのだ。

 蔦重の背中を時勢も後押ししてくれた。田沼意次が老中首座になって2年、江戸は遊興心で溢れていた。天明期に至る狂歌・戯作本ブームが今まさに始まろうとしていたのだ。

 蔦重はその変化を全身で感じて動いた。

 恋川春町が子ども向けの草双紙に吉原風俗を盛り込んだ大人向けの絵本(黄表紙)を作りブームに火を点けると、蔦重も黄表紙・洒落本の戯作本世界に参入。蔦重はまたたく間に春町や明誠堂喜三二、狂歌界の太田南畝らを取り込み、次々に戯作を出版した。

―― 滑稽話や勘違い、歴史の作り替えや古今の名作のパロディなど、知的な笑いの本が多いですね。蔦重も狂歌の名前(狂名、蔦重丸)を持っているくらいで、文芸に詳しく面白さに敏感だった?

「蔦重は吉原育ちのせいか人扱いが上手で人に好かれるんです。喜三二や春町は身分が武士ですから、別に金が欲しいわけではない。ただ戯作で遊びたい。それをさせてくれる蔦重の方へ自分たちからやって来ました。南畝にしても、当時狂歌は詠み捨てだったので蔦重が本にしてくれれば嬉しい。だから来る」

 戯作界参入当初からの知り合いには、後に大活躍する山東京伝(初期は画工)や喜多川歌麿もいて、人脈にも恵まれた。

―― 10歳年下の歌麿は親戚だったとか?

「蔦重は7歳で喜多川家の養子になっていますから、同じ喜田川姓。養家と何らかのつながりがあって、子どもの頃から知っていたはずです。歌麿は長い間蔦重の耕書堂の専属絵師でした」

 ところで、気になる大河ドラマとの関係も確認しておきたい。テレビでは蔦重はエレキテルの才人・平賀源内と非常に親しく、源内を通し田沼意次と面会したりもしている。

「田沼との面会などあり得ません(笑)。源内とは出版上の関係も何もない。蔦重にとっては“名前を知っている存在”程度でしょう」

―― 幼馴染みの花の井はどうですか? 花魁(おいらん)・瀬川になって鳥山検校に身請けされ、別れた後で蔦重と恋仲になるものの、所帯を持つ直前に突然出奔してしまう?

「これも無理です(笑)。幼馴染みが遊女になって、吉原出身者が彼女と結婚、もあり得ない。ただ、蔦重は結婚はしています」

―― あ、そうなんですか?

「安永7(1778)年、蔦重28歳。初めて店を持った頃だと思います。狂歌の追悼集に“唐丸内侍(奥さん)”の語が出てきます。ただし、2人に子どもはいませんでした」


新着記事

»もっと見る