2025年12月5日(金)

大阪 自由都市を支える“民の力”

2025年4月28日

 当時を知る人はその時の状況をどう見ていたのか。JR東海初代社長・須田寬さん(=故人)は、2015年12月11日付『週刊朝日』のインタビュー「新幹線がうまれたとき」でこう語ってる。

 「車内ではやはり皆、にこにこしながらしゃべっているわけですな。誰も、文句を言っていなかった。(中略)列車が混んでいるつらい環境でも、お客様は喜んで乗ってくださる。それどころか、知らない人たちと交流まで楽しんでくださる。それがよくわかって、私は感激して帰りましたね……。あれは忘れられない、心に焼きついている情景です」

小松左京は70年万博で
何を伝えたかったのか?

 政治思想史研究者で慶應義塾大学教授・片山杜秀さん(61歳)もその一人だ。小学1年生の時に夏休みを利用して父親と一緒に出かけたという。片山さんはこう振り返る。

片山杜秀さん。東京から新幹線に乗って万博に出かけたという(WEDGE)

 「70年万博は、1970年の人類の夢の最大公約数であり、夢のある未来を実感させてくれる場所だった。特に、アメリカ館の『月の石』と、ソ連館の『宇宙船ソユーズ』の実物展示は、多くの人に宇宙時代の到来をイメージさせるものでした。

 一方で、万博のテーマが『人類の進歩と調和』だというのに、調和よりも進歩、しかも、科学文明礼賛、科学技術の進歩が強調されていると子どもながらに感じましたね」

 片山さんの著書『左京・遼太郎・安二郎 見果てぬ日本』(新潮文庫)にも詳しいが、実はここに、左京が伝えたかったことがあるという。

 「左京には、人類とは、科学的知識に基づき、探求しながら発展していくものという考えがありました。

 例えば、70年万博の『電力館』では原子力や核融合の技術が展示されていましたが、左京は決して『原子力村』の単なる「広報文化人」ではなかった。原子力にリスクがあることは百も承知。ただ、リスクがあっても、科学と〝極限の付き合い〟をすることが現代を生きる人類の宿命だと信じていました。

 つまり、高いリスクを背負う。極限までやる。人類の進歩の力点が科学にある以上、使える技術は放棄しない。仮に科学技術が人類に終末をもたらすレベルになったとしても、決して封印せず、終末への危機意識を涵養しながら、破局を回避するためにそれらを使い、発達させていくことが重要である、という考えが根底にあったのです」

 日本人は水と安全はタダだと思っている──。70年に発表された『日本人とユダヤ人』(角川文庫)の中で、評論家・山本七平はユダヤ人のイザヤ・ベンダサンとして、こう評したが、こうした考えと同様に、日本人は国家の存在を当然視し、まるで空気のように「自然にあるもの」だと認識している面が強い。

 しかも、大陸国家と異なり、地続きで国境を接する国がなく、海によって平和が守られている。過去には、米国による広島・長崎への原爆投下や東京大空襲、関東大震災など、一つひとつの戦禍・災禍をみれば、とてつもなく大きく、悲惨な経験をしているが、日常的に多くの国家が経験する隣国の脅威などを感じることも少ない。しかも、喉元過ぎれば熱さを忘れる国民性がある。


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