日本人は踏ん張れるか
もっと頑張れるか
そうした日本人の島国根性、精神構造を根底から変えるため、仮にSF小説であったとしても、身分貴賎にかかわらず、全国民が等しく大きな危機に直面するという事態を描いたのが代表作『日本沈没』(角川文庫)である。しかも、左京の白眉は、単なる空想小説で終わらせていないということだ。片山さんは言う。
「左京は、哲学や思想だけで語るのではなく、原子力や地球物理学など、その道の専門家から最先端の知識をどん欲に学び、そこにSF作家としての想像力を加えて、『日本沈没』を描きました。まさにそれは、様々な叡智を結集させ、『総体』をかけて取り組んだことだといえます」
なぜ、左京は「総体」をかけたのか。それは、少年時代の敗戦体験が大きく影響しているという。
「日本はアメリカに負けた。陸軍も海軍も縦割りで、総体で向き合わなかった。だからこそ、できることはすべてやり、あらゆることは総体で取り組むべきという考えがあった。
また、左京はグループづくりの名人であり、70年万博のテーマも、集団で考案しました。つまり、『総体』をかけた左京の一つの成果が、70年万博だったといえるでしょう」
日本は今、内政・外交ともに様々な危機に直面している。低成長、人口減少、財政難、巨大災害リスク、きな臭さ増す国際情勢……。どれをとっても、国民が大きな運命を共にして、全員で立ち向かっていかなければならない問題だ。にもかかわらず、どこか他人事で、「何とかなる」「自分が生きてるうちは……」という楽観論が根強い。
それは左京の考えた日本人の姿でないことは明らかである。
万博報道を巡っても、悲観論が目立つ一方で、25年万博を契機として、どのような大阪・関西、日本にしていきたいのかの議論も乏しい。
ただし、25年万博が大阪で開催する意義はもっと語られてもいいのではないか。片山さんはこう話す。
「大阪に象徴される西日本は、歴史的にも、地理的にも交通の要衝で、瀬戸内海を通じて朝鮮半島、中国、そしてアジアともつながっていた。まさに日本と外国とを結ぶ結節点であり、長い間、日本の中心でした。だからこそ、大阪は国際感覚が豊かで、ヒト・モノ・カネがよく動き、商人的価値観が育まれた。
左京は70年万博で、かつてと同様に世界中の人々が大阪に来て、つながることを夢見ていたはずです。
しかし、今の大阪は、同じような価値観や土俵で東京と張り合おうとしています。大阪都構想などは、その典型だといえます。
大阪は元来、自由都市であり、商人都市。学問、文化、芸術、経済活動など、あらゆる面で東京的価値観とは異なるものがある。大阪から日本を変えていくという気概をもっと持ってもいいのではないでしょうか。左京もきっと、大阪にはそうあってほしいと願っていたはずです」
25年万博を一過性で終わらせず、大阪人、日本人はもっと踏ん張り、頑張る必要がある─。
もし、現代に左京が生きていたら、我々をこう鼓舞するのではないか。私にはそう思えてならない。
