2025年12月5日(金)

橋場日月の戦国武将のマネー術

2025年5月10日

原点は知多半島

 この松葉屋を調べてみると、ドラマ時点の店主・半左衛門さんは5代目ということで、遡るとその初代は尾張から出て来ている。さらに深掘りすると、吉原の妓楼の経営者の過半が尾張、しかも知多半島の南端に近い土地が出身地というのが共通している。

 この、知多半島の根元でも真ん中でもなく、南の先っぽというのがミソで、実は、南知多は江戸と大坂を結ぶ海上輸送の中継点であり、200石から1000石積みの大船のオーナーたちが巨富を築いた土地だった。何せ「豊浜」なんて地名も残っているぐらいだから、その潤いっぷりも簡単に想像できようというもの。全盛時には250艘もの船を擁し、ただの海運業だけではなく自分で商品を買い込み、行った先でそれを売るという商人活動もしていたために利益がすべて懐に入るという理想的なビジネスモデルを実践していたのである。

 その資金力はすさまじく、江戸時代後期になると幕府の大坂町奉行が「彼らが近畿各地で買い占めをおこなうために大坂への物資供給が滞り、物不足と物価高騰が起きる」と問題視して江戸城に上申するほどだった。

海運から遊郭へ業態転換した背景

 ではなぜ彼らはそんな繁栄の地を出て江戸の遊郭事業に参入しようと思ったのだろう。実は元禄時代の全盛期以降、尾州廻船は一度大きく傾いた時期があったのだ。競合に押され、尾張藩にも放置されたことが主因なのだが、やがて有力な船主の元締めが「もはや破産」と嘆くほどのどん底へと落ち込んでいく。

 一方で江戸・吉原に進出した一団は、さすが潮目を読むのに長ける海運関係者だったというべきか。ともかくも、船から花街へと投資先を変えた中に、松葉屋の初代もいたというわけなのである。

 時代はちょうど8代将軍・吉宗の時代に突入していき、質素倹約・尚武が奨励される世の中へ。これでは当面景気回復など望めない。松葉屋初代らの賭けは非常に合理的な計算で実行されたのだ。なにしろ風俗産業は、是非は別として、いつの世でも底堅い需要が存在するのだから。

開業資金はいくらだったか?

 では、彼らは吉原進出にあたってどれぐらいのマネーを投じたのだろうか?

 まず何はなくともハコがいる。店舗だ。松葉屋初代の場合は吉原公有の土地を借りたというから初期投資額は知れている。

 土地と上物を買って営業開始した者なら(松葉屋では3代目がこれを行って新規開業している)、80坪の土地建物の居抜きで750両。現代なら7500万円にあたる。

 これに加えて、遊女を確保しなければならない。初手は吉原内外の既存の妓楼から金で買い集めるしかなかったはずだからで、初期は銀5匁程度以下の揚げ代(遊興代)の遊女しか抱えていなかったというから、一流の妓楼の太夫(最上級の遊女)の揚げ代1両1分に比べれば12分の1、1万円程度に過ぎない。これでは一等地に店を構える妓楼として一流の看板はかけられない。仮に非公認の遊女(公認は吉原の遊女のみ)の取り締りの際に人材確保すれば1人数両、10人抱え込んでも500万円程度で収まったはずだ。


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