2025年12月6日(土)

橋場日月の戦国武将のマネー術

2025年5月10日

何が何でも売上金を取り立てる術

 では桶伏に変わって登場した遊興費回収のシステムは何だったのか。 それが「付け馬(付き馬)」だ。回収者が債務者の家まで付いて行き、金銭を回収していく。これなら短時間でらちがあくというものだ。

 その付け馬役は誰が務めたかというと、これが文字通り馬屋だった。といっても馬を販売する方ではなく、馬で人を運ぶ運送業としての馬屋。

 そもそもは馬に揺られて浅草寺あたりと吉原を往復する遊客の、その馬の馬子に依頼して代金回収させていたのだ。現代で言えば銀座のクラブの前で客を乗せたタクシーの運転手さんが客の家でツケを回収し、クラブに渡すというルーチンを考えれば良い。

 ただ、それですべてうまくいけばいいのだが、馬子の仕事に従事する者はもともと定着率も低かったのだろう、手数料では満足せず代金を横領持ち逃げしてしまうケースが多く、妓楼や茶屋の若い衆(掃除・客引き・花魁道中のお供などなんでも屋の使用人。若い衆といっても必ずしもヤングマンではない)を債務者に付けて家まで回収に行かせるようになったと言う。

 名称は「付け馬」のままなのだが、この若い衆は「妓夫(ぎう)」(妓楼の雑務係)という職掌名から、「牛(ぎゅう)」「牛太郎(ぎゅうたろう)」と一般に呼ばれていたために「牛が馬になった」などと笑われたと伝わる。馬になった牛に家まで付いて来られるうなだれた客との道中は、さぞ微妙な空気を醸し出していたのだろう。

 もっとも、この「付き馬」が相手にするのは払えないのに吉原で遊ぶぐらいのドラとその家族だから、なかなか取り立てできない手合いもいる。そのための最終兵器が、「始末屋」だった。いわばプロの回収屋なのだが、おそらくは現代の「ナニワ金融道」以上のコワモテぶりを発揮して不払い男やその関係者にむりやりにでも金の工面をさせ、あるいは家財を取りあげて売り払って代金を取り立て、手数料を取った残りを妓楼や茶屋に渡した。

 史料には残っていないが、取り立てそのものにも多少の「手間賃」を加算していたのではないかな、と想像してしまうほど、ダークな匂いのする始末屋なのである。「付け馬」といえばテレビ時代劇で「付け馬屋おえん事件帖」、漫画で石ノ森先生の「さんだらぼっち」がある。

 話のネタには事欠かなそうな職業ではあったが、さらにその次のセーフティネットが用意されていたとは、いかに売り上げの取り立てが重視されていたか。運転資金の回転率が重視されていたかが分かると思いませんか。

《参考文献》
江戸吉原の経済学』(日比谷孟俊、笠間書院)
江戸吉原図絵』(花咲一男編、三樹書房)
図説吉原事典』(永井義男、朝日文庫)ほか
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