2025年12月5日(金)

橋場日月の戦国武将のマネー術

2025年5月10日

 即戦力の彼女らとともに次世代の遊女も用意しなければならないから、そちらも身売りの少女を10人500万円程度で引き取り都合1000万円。これに什器や、経験豊かな遣り手(遊女たちを監督指導する女性。主に遊女経験者が務めた)以下の使用人を雇い入れる費用を加えていざ開業、と相成ったわけだ。いずれにしても尾州廻船で儲けた資金力をもってすれば、ましてや尾張人ネットワークによる互助制度もあっただろう中ならば、それほどリスクは無く参入できたのではないか。

桶伏の真意

 尾張をルーツとする者が多い吉原。重三郎の父親も尾張出身者だったらしいから、大量参入の後も地縁血縁を頼って江戸に出てくる尾張人が多かったのだろう。吉原といえば「ありんす」言葉のイメージが強いが、案外遊女以外は名古屋弁を喋っていたかもね。

 さてドラマの初回ではこの尾張出身者の息子・重三郎は大きい桶の中に閉じ込められる折檻を受けていた。これは「桶伏(おけぶせ)」と呼ばれる私刑で、吉原で支払いが滞った客を責める方法だった。桶伏に処されている男の絵もいくつか残っているが、その中でも髪が乱れもみあげも伸びて、いかにも放蕩かつ金払いが悪い半端者っぽく描かれているものがある。とても面白くて良い。 

『繋馬七勇婦伝』より渓斎英泉画

 ただしこの私刑は蔦重の時代より1世紀も前に絶えたと考えられているので、まだ移転前の元吉原末期までかも知れない。 つまりこれはドラマの創作なのだが、うまく挿入したものだ。

 それにしても、桶伏仕置きが無くなったのは見せしめ効果による無銭飲食の絶滅によるものだろうかというと、そうではない。早い時期に「桶伏」が消滅したのは、何日も懲罰しても肝心の回収にはつながらない、回収できるまでのタイパが悪い、という至極ごもっともな理由からだったろう。

 見せしめ自体も裏を返せば他の客の浪費意欲を萎えさせるという逆効果を生むものでもあった訳だし、何よりも桶に押し込めたところで、家の者が身代金を払いに来なければいつまでたっても代金は回収できない。「そんな出来の悪い息子はもう知らん」と勘当されてしまえば永久に取りっぱぐれだ。

 ちなみに勘当されたり破産したりすることを、当時は「鉦(銅鑼、どら)を打つ」という。そう、これが今も使われる「ドラ息子」などの語源となる言葉だ。桶伏せはまさに金持ちのドラ息子にふさわしい折檻だったが、タイパが悪すぎて廃れた、ということになる。


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