北朝鮮だけで通じる革命歴史と国家の正統性
まず、金正恩氏が対独戦勝記念日にモスクワを訪問しなかった最大の理由は、第2次世界大戦の戦勝80周年を慶祝すると国家の正統性を損ねるおそれがあるということだ。日本人が聞いたら開いた口が塞がらないような話だが、北朝鮮では朝鮮半島の解放は日本が米国など連合国に敗れた結果ではなく、金正恩氏の祖父である金日成氏率いる抗日パルチザンが日本軍を駆逐した成果だと教えられている。
この金日成氏が祖国解放を成し遂げたという歴史観は、金正恩氏に続く国家の正統性の淵源であり一切の揺るぎがない。北朝鮮憲法の序文には「金日成同志は抗日革命闘争を組織・指導して祖国解放を成し遂げ朝鮮民主主義人民共和国を創建した」旨が明記されている。我々が知っている歴史と北朝鮮の正史とでは歴史的事実が全く異なるので、金日成氏の本当の経歴についても紹介しておこう。
金日成氏は日韓併合の2年後である1912年、平壌郊外のキリスト教家庭に生まれた。20歳で抗日パルチザン闘争に身を投じ、36年には中国共産党が指導する東北抗日聯軍で中隊長クラスの指揮官を務めた。37年には北朝鮮で伝説の戦闘と語り継がれる「普天堡の戦い」(駐在所を襲撃、死者2人)で日本軍の掃討作戦を受けてソ連(当時)に脱出、ソ連は朝鮮人パルチザンを極東軍第88独立狙撃旅団として再編し、金日成氏は第1大隊長を務めるに至る。
同旅団は対日戦闘に参加することなく終戦を迎えたが、金日成氏は1945年9月にソ連の占領政策を補佐する政治工作員として漁船を改造したソ連海軍艦艇で北朝鮮の元山に上陸した。その際、33歳の金日成氏はソ連軍大尉の軍服を着ていた――。
このように金日成氏は中国軍、ソ連軍の一員として活動していたわけだが、北朝鮮の正史から中国やソ連の指導や関与の痕跡は見事に消し去られており、北朝鮮では世界史の大事件である第2次世界大戦と祖国解放はリンクされていない。つまり、北朝鮮にとっての戦勝記念日とは8月15日の「祖国解放記念日」以外になく、それ以外の戦勝記念日は海外に数多ある記念日の一つに過ぎないのだ。
もし、金正恩氏がモスクワを訪問していたら、各国メディアは金日成氏の経歴など北朝鮮建国にまつわる旧ソ連の功績を、現在の露朝関係になぞえて報じただろう。北朝鮮としては、それは絶対に避けたかったはずだ。
その証左、5月9日付朝鮮中央通信によれば、金正恩氏は同日、在北朝鮮ロシア大使館を娘のジュエ氏とともに訪問したが、「偉大なソ連軍と人民がファシズムを打倒した勝利の日が人類の運命と未来に及ぼした未曾有の多大な影響と永遠なる意義」に続き、「朝露関係の長い伝統と崇高な理念的基礎、不敗の同盟関係を絶えず強化し、発展させていこう」と述べたにとどまり、ソ連の対日戦や祖国解放への感謝には一切触れられていない。
