2025年6月17日(火)

Wedge REPORT

2025年5月31日

(出所)恋川春町作画『吉原大通会』(天明4年)に描かれた蔦重(国立国会図書館)

旧暦5月6日は蔦重の命日

 大河ドラマで“江戸のメディア王”として話題の蔦屋重三郎。没したのは1797(寛政9)年5月6日のことだ(新暦では5月31日)。前年秋から「脚気(かっけ)」に伴う諸症状(足の痺れ、倦怠感、動悸、息切れなど)で自宅療養をしていたが、寝たきりになり、心不全(推定)で息をひきとった。葬儀は翌日行われ、菩提寺の「正法寺(しょうぼうじ)」に埋葬された。享年48。

蔦屋重三郎命日の限定御朱印(画像提供:正法寺)

 蔦重死去の報に接した長編伝奇小説『南総里見八犬伝』で知られる文豪・曲亭馬琴(きょくていばきん)は、「著作堂主人」という別号で追悼歌を蔦重の霊に捧げた。

 思ひきやけふはむなしき薬玉(くすだま)も枕のあとに残るものとは

 (思ってもみなかったよ、貴兄がいなくなった今日はもはや役に立たない薬玉が使う人のいない枕元に残っているなんて)

 馬琴は、著名な戯作者の山東京伝(さんとうきょうでん)の家に内弟子として寄宿していた修業時代に、仕事の打ち合わせで訪ねてきた“江戸出版界の旋風児”蔦重と言葉を交わしたのが最初の出会いであった。年齢は蔦重が17歳も上だったが、ほどなく組んで仕事をする間柄となった。

 正法寺は浅草に位置し、本能寺の変が起きた1582(天正10)年創建の日蓮宗の名刹である。「正法寺縁起」によれば、その8年後に江戸入城した徳川家康から現在地を含む1万石の寺領を与えられ、葵の紋の使用も許された。家康は寺を鷹狩りの休憩所として使ったという。

べらぼうに大きかった「大河ドラマ効果」

 大河ドラマの波及効果は相当なもので、浅草界隈を中心に“べらぼう特需”が起きている。正法寺・佐野詮修住職の話では、観光目的で寺を訪れる人は、“歴女”を含む若い女性を中心に増加の一途をたどっているとのことだ。

 そうした状況に鑑み、同寺では4月8日のホームページに「当日のイベントのようなものはないが、午前10時、午後1時、午後3時の3回、お経をあげ、蔦屋重三郎幽玄院義山日盛信士ならびに蔦屋家歴代諸霊位を弔いたい」と記し、命日(5月6日)限定の御朱印を用意すると告知して当日配布する見本を掲出したところ、御朱印ブームという追い風も加わり、「当日でないと御朱印をもらえないのか」といった問い合わせが数多く寄せられた。そこで新暦の命日にあたる5月31日にも配布することになった。

 御住職は、境内にある蔦重の供養碑に刻まれた追悼文のこともホームページで説明、「蔦重の人柄をよく伝える3つの句を抜萃し、蔦重229遠忌のお塔婆に向かうような気持ちで御朱印に記した」と述べ、邦訳もつけた。

①接人以信

(人に接するに信を以てす)

②柯理恢廓産業 一倣陶朱之殖(かりさんぎょうをかいかくし いつにとうしゅのしょく)

(蔦重こと柯理〈からまる〉は吉原遊郭を豊かにして皆を力づけること中国の偉人陶朱公のようであった)

③其巧思妙算 非他人所能及也(そのこうしみょうさん たのひとのよくおよぶところにあらざるなり)

(その発想力や人を結びつける力と世事を見通す計算高さは他人の及ぶ所なく図抜けていた)


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