2024年7月16日(火)

中国メディアは何を報じているか

2014年4月15日

 一つ目は社会全体に存在する管理や言論統制、社会全体の性の雰囲気の変化などの影響があって多くの人が取締りに反対し始めたということがある。こうした現象は30年前には想像しえなかった。これには最近数十年にわたるイデオロギーの軟化と関係があろう。一部の人は「売春法」(原文は「売淫法」、ただ厳密にはこうした法律があってそれに則って裁かれるのではなく「治安管理法」、「刑法」に依拠して処罰される:筆者)に否定的態度をとるが、これはオーバーリアクション(合法化の主張は多少大げさに聞こえるかもしれないが、ということだろう:筆者)ではないと思っている。私は早い時期に性サービス業界の研究を通じて売春を非合法でなくするべきと考えるに至った。こうした考え方は決して少数ではなく、多くの人が思っていることだ。

 もう一つの原因は、売春の管理に問題があるということだ。売春を禁止する法律は1950年代に共産党が政権を奪取した際に売春を強制される女性の苦境を救う必要があり、こうした背景の下に制定されたものだ。貧困に喘ぐ女性は抑圧され、迫害されていた。1950年代に共産党が北京に進駐して第一に行ったのが、性産業取締りであり、売春宿を全て排除し、その後30年で売春業をほぼ壊滅させた。(また中国に売春業が存在しないのは:筆者)当時の労働者の給料では食べるためだけでいっぱいで買春の余裕がないということもあった。

 このほか政治的管理もとても厳しかった。当時「雷鋒に学べ」(雷鋒少年は1960年代初頭に毛沢東主席の著作を熱心に学習していたが事故で死んでしまい、当局はそのような彼を模範にせよ、とキャンペーンを行ったがそれは今日でも行われている:筆者)と自己批判を迫られ、資産階級の享楽主義が批判され不倫さえも行政処分を受けた。1997年の『刑法』改正前には、「ごろつき(流氓)」罪というのがあり、この処罰には結婚外の性関係も含まれた。売買春は完全に社会悪だったため斡旋者、仲介者は銃殺刑に処せられた。90年代に入ってもサウナの女性経営者が売春組織容疑で死刑判決を受けている。

売春急増 警察や官吏に保護を求める

 「改革開放」(鄧小平が推し進めた市場経済の導入による計画経済システムからの脱却政策、1978年に導入されたが軌道に乗るのは80年代、本格化するのは92年以降:筆者)から売春が急増した。50年代とは違って、多くの人は自ら進んで参入した。そのため売春禁止の法的効果がなくなっただけでなくマイナス面も現れるようになった。

 違法であるがゆえに地下に潜伏し、マフィアの保護を求めるようになった。売春にはリスクが伴い、客の支払い拒否や女性の身に危険が及ぶため庇護が必要なのだ。彼らは官吏や警察を買収し、保護を求め、警察や官吏の腐敗を引き起こした。


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