2025年12月5日(金)

お花畑の農業論にモノ申す

2025年6月19日

 国産米の需要は今後も一定数存在するため、品質にこだわり高単価で販売する農家と、輸入米のようにコストを下げて販売する農家に二極化すると予想される。特に都会で流通している新潟産のコシヒカリは混ざりものが多く、品質が低下していると大原さんは指摘。「混ざり物なし100%のブランド米が消費者の手に届けば、それが評価されるようになるはずだ」と、流通改革の必要性を訴えている。

「大規模化」が必ずしも正解ではない

 大原さんからは、政府が農業の大規模化を推奨しているように見えるそうだ。しかし、大原さんは「政府が言うほど、大規模経営の環境が整っていない。価格低迷するなか、若者が農業に魅力を感じにくくなり、農業法人などが若年層を雇用しても短期間で辞めるケースが目立つのが現状」と話す。

 「個人経営で100ヘクタールなどの大規模は難しく、人を雇うとその能力によって経営が大きく左右されるため、経営者としてのかじ取りは厳しいのが実情だ」(大原さん)

 このような現状を注視してきた大原農園の後継者である長男の伊澄氏は田んぼを増やすことに否定的であり、規模拡大よりも現状維持で高品質のコメを供給することが肉体的にも精神的にも長続きすると考えている。つまり、若い世代は生活の質と経営の持続性を重視しているのが見てとれる。

 大原さんが強調したいのは、中核となる5~10ヘクタールの個人経営農家がコメ作りで生活できないようでは、日本の農地の60%以上を占める中山間地では、農業経営基盤が無くなるだろうという懸念だ。つまり、中間層の喪失が日本農業の危機につながると指摘する。

大原農園での施肥と周辺風景

 「平坦地でも条件不利地の放棄が散見される今、机上の理論だけで無く地に足の付いた方向を見いださないと若者参入は、増加しない」と大原さんは指摘する。

 また、地域農業については、日本の農業は、集落全体で支えるシステムとなっているので離農が進むことにより、農村の維持が難しくなると危惧される。

 「私の住んでいる地域の経営環境では、水田は、網の目のように細かな水路を張り巡らしている。その水路の管理は、土地所有者や受託者が自分の土地に面している水路・排水路の管理を行い、全ての水田に水が入るシステムになっている。離農者が増えれば、この管理システムが崩壊する可能性が高い。水稲作での水の確保が行えず、全ての農家の経営環境が破壊されるのではないか」と大原さんは懸念する。

消費者も農家の現状理解を

 インタビューを終えて、大原さんが、農村の持続可能な農業を長年実践してきたという事実と、令和の米騒動が平成の米騒動に酷似しているという指摘が強く筆者の印象に残った。

 今回の騒動を通じて、消費者は「農業を再生産できる最低価格が備蓄米の2000円だ」などと思ってはいけない。スーパーなどで目にするコメの価格が単なる家庭内の米食問題だけでなく、地域経済・国土環境の維持保全などの問題と深く関係している。コメをめぐる食料問題は生産者と消費者の相互理解のもとに、両者ウインウインの持続的な姿を模索し、進めていくべきと痛感させられた。

 最近はインバウンドなどで訪れる海外の人たちからも、緑豊かな日本の農村の景観の評価は高い。その景観を形づくる地域農業を支えるためには、大規模農家だけでは不可能で、中小規模の農家の存在が必要不可欠である。

 また、大原農園のように、効率一辺倒でなく、環境負荷を軽減するため、農薬や化学肥料を極力減らして、農産物の付加価値を高める経営が農村の多様性と持続性を高めることになると認識すべきだ。環境問題が多発し、地球の温暖化が危惧される今日、私たちは今後、農村全体の持続性についても思いを巡らせるべきだろう。

 確かに日本人は国際的にみても価格の高い国産のコメを食べている。だが同時に高い食味だけでなく、国際的にみてもとくに優れた農村の美しい環境・景観を享受している。今後、消費者もコメを手にする時、その裏にある美しい田園の価値も認めて購入する必要があるだろう。

 つまり、消費者は、「日本の農村全体の持続性に投資しているのだ」。私たち消費者の行動が日本の農業の未来を決める、との認識が重要になってくるのではないだろうか。

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