2025年12月5日(金)

お花畑の農業論にモノ申す

2025年6月27日

 かつて、食管法により国が管理していたコメ流通でも、価格は様々で、かつ、格差があった。政府米でも、1979年から、上に600円、下に600円の開き、自主流通米も様々で、政府米より下には北海道の「特別自主流通米」があった。

 また、低所得層のためには、「徳用米」、「標準価格米」という価格指定の政策米が存在した。今回の随意契約の備蓄米放出は、市場の需給緩和と価格を落ち着かるという点で、そして、経済理論上も何ら問題ない。

生産者と消費者は合意できる 

 コメ供給の不足ないし「不足感」の下で、消費段階での価格が2倍へと高騰し、「犯人は誰だ」、「投機か」、「転売ヤーは」、「中間業者の暴利」、「生産者米価は30年前のレベルに戻っただけ」、「いまの価格でもコメは他の食品に比べて割安」など、取り上げればきりが無い声が聞こえている。

 この際、冷静になってもう一度、基礎的食料としてのコメとそれを支えている農地、農村政策の方向を探らなければならない。コメ・水田農政の潮目は、完全に変わった。

 その大前提としては、農政当局が「コメの供給不足」を認めること、「コメ需要は毎年10万トンずつ減少する」といった思い込みからの脱却から始めなければならない。

 この後に残されている最大の課題は、コメ価格の高騰による消費者のコメ離れを起こさせない「安定的・合理的な価格」の形成と生産者が「持続的にコメ生産」を行える所得確保の方策であろう。

 生産者と消費は必ず合意できる。現在のところ、消費者は、高米価と税金とで二重の負担を強いられている。そして、コメ生産の持続の必要性への理解は十分手ごたえがある。

Facebookでフォロー Xでフォロー メルマガに登録
▲「Wedge ONLINE」の新着記事などをお届けしています。

新着記事

»もっと見る