農産物に限ったことではない。経済企画庁の経済見通しにしても多分にそのような要素があるとの印象を持った。
ここで、国際的にも信頼度の高いアメリカ農務省の需給予測について、日米の比較をしておこう。米農務省は、毎月、穀物などの在庫と収穫量を発表している。
用途別に出荷量・輸出量などを把握しているので在庫量も正確だ。つじつまが合わなくなれば、収穫量が正しかったのかを遡って調査・検討・修正する。世界各国は、アメリカの予測に信頼を置いており、輸出国は特に重要視している。
川上からではなく、川下からの判断が基本なのである。もちろん、日本の需要も予測の中にあり、さらに、先物市場の相場を通じて、民間の予測も加わる。
コメの流通は複雑・怪奇
かつてドラッカーは流通についてその実態が見えにくいことから「経済の暗黒大陸」とまでいわれた時期もある。「五次問屋まで存在」との指摘に対し、JA全農の元幹部が「存在するものには意味がある」との反論を聞いたことがある。
近年、コンビニ、スーパーの店舗数の増加、オンライン購入量の増大、生産者の直販など、流通・消費の変化・多様化があるのだから、存在するもの全て肯定するのではなくて、変化・多様化に応じたサプライチェーンにおけるコメの流通を「可視化」(見える化)し、正確・詳細な状況を把握できるようにするのは重要である。農水省は、食糧法に基づいてこれを掌握する権限を持っているはずだ。
従来の流通ルートのよさを活かしたいと思ったら、イタリア映画「山猫」に登場する“Change to Remain the Same(変わらないためには変わらなければならない)”という台詞を記憶しよう。
日本一の米卸「神明」の先々代・藤尾豊さんの言葉を思い出しておきたい。
「コメ卸の役割は、コメ流通におけるダムのようなもの。一年一作のコメ、在庫・備蓄になっているコメ、これを年間通じて、品質・数量を一定に保ちながら、全国各地の小売を通じて家庭にまで届ける。大きいところ小さいところ、都会、田舎、山の中、事情はいろいろとある。太いパイプ、細いパイプ、そして、あちこち寄り道するルート、山の中の小さい店なら仲卸的な役割を果たす者が間に入ってもいい。もう一段階が必要なときもあるだろう」と多様な対応の重要さを教えてくださった。要は、消費者本位で流通機能を果たすことなのだ。
銘柄米、ブレンド米、外国米、備蓄放出米と価格帯が多様なことを異常と指摘する向きもあるが、品質に応じて価格は様々なのが当たり前で、自由流通の下では、市場機能が安定取引、安定価格形成をもたらすものである。どの様なものが、どんな価格で、どの程度の量が必要か、それをマーケットが決め、それによって生産の量・質を誘導するのがごく自然なのだ。
